第5課 人との和解—十字架の教会 7月29日
暗唱聖句:しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、 エフェソ 2:13、14
今週の聖句:エフェソ 2:11~22、ローマ 3:31、ローマ 7:12、イザヤ 52:7、イザヤ 57:19、 ヨハネ 14:27、1 コリント 3:9~17
今週の研究:パウロは、エフェソ2:11~22で、キリストの十字架を、このような隔ての壁を打ち壊し、劇的な変化をもたらすものとして見ています。十字架は、縦の関係で考えれば、疎外の壁を取り除き、神と人との和解をもたらします。横の関係で見れば、人と人との和解をもたらします。十字架は、ユダヤ人と異邦人の間の敵意を取り除き、平和をもたらし、彼らを「一人の新しい人」(エフェ 2: 15)に造り上げます。彼らは共に「霊の働きによって神の住まいとなるのです」 (同2:22)。
この真理は、今日の私たちにとってどのような意味を持つのでしょうか。
月曜日:今週私たちが学んでいるエフェソ2:11~22の文脈において、十字架は信徒にとって、次の三つの大きな利点をもたらします。(1)神と神の民から「遠く離れていた」異邦人は、両者が「近い者」とされ(エフェ 2:13)、今や神の息子、娘、ユダヤ人信徒の兄弟、姉妹となり(同2:19)、(2)ユダヤ人と異邦人の信徒の間にあった「敵意」(ギリシア語では「エクスラン(憎しみ)」、「エクスロス (敵)」に関係する語)は、「滅ぼされ」(同2:16)たのです。キリストの十字架は、ユダヤ人と異邦人の間に永遠に続くと思われた敵意と、両者が互いに誓い合った争いを取り除き(同2:17)、(3)敵意の代わりに和解をもたらします。キリストの目的は、「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ(る)」(同2:16、コロ1:19~22と比較)ことでした。
水曜日:エフェソの信徒への手紙の中で、平和という概念は重要です。この手紙は 「父である神と主イエス・キリストから」の平和の祈りで始まり、平和の祈りで終わります(エフェ1:2を6:23と比較)。エフェソ2:11~22の前半で、パウロは、「キリストはわたしたちの平和」、人となった平和であり、キリストの十字架が平和を実現したと論じています(同2:14~16)。キリストは、ユダヤ人と異邦人の間の敵意を滅ぼすだけでなく(同2:14、15)、和解と平和の関係に特徴づけられる新しい人を造られます(同2:15~17)。このような平和は、単に争い がない状態をいうのではなく、神との間でも(ロマ5:1)、人との間でも、完全 で健全な状態を意味するヘブライ語の「シャローム」の概念と共鳴するもので す。
パウロは、エフェソ2:17、18で、キリストの平和の宣教が地上での宣教期間を超えて広がったことを鋭く指摘しています。キリストは、「遠く」(回心する前の異邦人の信徒たち)にも、「近く」(ユダヤ人の信徒たち、エフェ 2:11~13参照) にも、今、「平和の福音を告げ知らせ」てくださっています。この知らせを受け入れることによって、すべての信徒は、深い恵みにあずかります。
木曜日:エフェソ2章を振り返ると、1~10節は、私たちがイエスに結ばれて生きることを教え、11~22節は、イエスの教会の一部として他の信徒たちと一致して生きることを教えていました。イエスの死は、神との関係を確かなものにする縦の恩恵(エフェ 2:1~10)と、他者との関係を確かなものにする横の恩恵 (同2:11~22)の両方をもたらします。十字架によって、イエスは、異邦人信徒とユダヤ人信徒の間にある溝を広げるための律法の誤用を含めて、すべてのものを打ち砕いてくださったのです(同2:11~18)。イエスはまた、信徒たちからなる、驚くべき新しい神殿を建てられます。以前は神殿の聖なる場所での礼拝から締め出されていた異邦人が、今や、ユダヤ人信徒と共に新しい神殿となるのです。私たちは皆、神の教会の一部、「主における聖なる神殿」(同2:19 ~22)となって、イエスとキリストにある兄弟姉妹と一つに結ばれて生きる特権を与えられています。
今週はエフェソ2章の後半を学びます。今週は一致についてパウロの言葉から学びます。一致についてパウロが勧めているということは、教会の中に分裂があったわけです。それはユダヤ人と異邦人の問題でした。この問題は、キリスト教が世界教会となるためには、必ず乗り越えなければならないことでした。キリストも弟子たちにユダヤ以外で伝道をされて、すべての人を神さまが愛していて救おうとされていると教えようとされました。ペトロにも神さまは夢で語られ、コルネリオの家に導かれました。またエルサレム会議でも、異邦人のクリスチャンに、神さまに従うために何を教えるか話し合われました。このように何回も神さまが示されていても、このような問題が起きていたのです。
ユダヤ人は、子どもの時から聖書を教えられてきましたが、聖書が語っている救い主キリストを受け入れていませんでした。その意味では月曜日の引用文にありますが、近いところにおりながら、神さまから離れていました。逆に異邦人は、他の神さまを信じるなど、遠く離れていました。
今週の学びで大切なのは、神さまとの距離ではありません。「キリストの血によって近いものとなった」(2:13)のです。神さまがわたしたちが神さまに出会う前に救いの道を備えてくださり、そして神さまが近づいてくださったからこそ、わたしたちは救われたのです。これはユダヤ人も異邦人も変わりません。パウロは神さまによって同じ教会に集められたものとして、ともに福音を伝えるために一致するように教えています。
日本において、ここ数年、外国人が増えています。全国の教会に外国人が出席する時代となりました。彼らの文化や教会生活の伝統が異なることもあります。そこに目を向けてしまうと、ただうるさい、めんどう、邪魔という気持ちになってしまいます。けれども神さまは、その方々をあなたの教会にお連れになったのです。どうか主にある家族として受け入れいてください。そしてあなたが逆に立場になったと考えて、彼らの必要に応えてあげてください。