安息日学校部

20230302安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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                                      第2課   キリスト中心の神の壮大な計画   7月8日

 

暗唱聖句:わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。 エフェソ 1:3

今週の聖句:エフェソ 1:3~14、エフェソ 2:6、エフェソ 3:10、コロサイ 1:13、14、申命記 9:29

                                                                  

今週の研究:パウロは、エフェソの信徒への手紙の冒頭で、神が注いてくださっている祝福、いわば月面を歩く者にとって欠かせない宇宙服のように、信徒の生活にとってなくてならない祝福を与えてくださっている神をほめたたえ、感謝の言葉を述べています。神は「天地創造の前」(エフェ 1:4)から、このなくてならない祝福のために働いておられるとパウロは語り、信徒のために各時代を通して働いておられる神をほめたたえているのです。

パウロのこの冒頭の言葉は、神をどのように礼拝し、与えてくださった多くの祝福に対して神をどのようにたたえるかの見本として、エフェソの信徒への手紙の価値を特に高めています。

 

                                                                             

日曜日:感謝の手紙には通常、受け取った贈り物についての説明が含まれます。

パウロはエフェソ1:3~14で、福音の祝福について神に感謝しながら、長い祝福のリストを書いています。 パウロは、神が「キリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たして」(エフェ 1:3)くださったことを賛美しています。この祝福が霊的なもの(ギリシア語では「プニューマティコス」)であるということは、それが霊(「プニューマ」)によってもたらされることを意味しています。そしてパウロの祝福のリストは、信徒の生活における聖霊の働きをたたえて結ばれています(同1:13、14)。

エフェソ1:3~6は、神がキリストにおいて私たちをどのように見ておられるかを描写する霊感の言葉を含んでいます。キリストの創造と贖いの両方によって、「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」(同1:4を5: 27と比較)。かけがえのない「神の子にしようと」「お定めになったのです」(同 1:5)。太陽が輝き始める以前から、「その愛する御子によって」(同1:6)私たちが受け入れられることは、神のご計画でした。神の御心は私たちが救われる ことです。私たちが救いを失うのは、ただ私たち自身の罪深い選択によってのみなのです。

 

                                                                             

火曜日:パウロは神の計画に、①「秘められた計画」、②「神の御心」、③「時が満ちるに及んで完成される救いの業」という三つの名前を付けています。神の究極的、最終的な計画とは何でしょうか。それは、あらゆるものがキリストのもとに一つにまとめられることです。

パウロが「時が満ちるに及んで……完成され(る)」(エフェ 1:10)神の計画について語るとき、この手紙に一貫して流れているテーマがあります。神はイエスの死、復活、昇天、イエスが御座に着かれたことを土台とする、あらゆるものを一つにまとめる計画を始め(同1:15 ~ 2:10)、教会を創設し、その中でユダヤ人と異邦人という完全に異なった種類の人々を一つにされたことです (同2:11~3:13)。

パウロの手紙の後半は、一致への熱心な呼びかけで始まり(エフェ 4:1 ~ 16)、一致を損なう行動を避け、代わりに仲間の信徒との結束を深めるようにとの長い勧めが続きます(同4:17~6:9)。パウロは最後に、教会が一つにまとめられた軍隊であり、キリストの名によって平和を勝ち取るために力の限りに戦う姿を描いています(同6:10~20)

 

                                                                             

木曜日:信徒の生涯における聖霊の重要性について、パウロは聖霊を二つのものにたとえています。初めに彼は、聖霊を「印」にたとえます。彼は回心のときに与えられる聖霊の存在を、証印を押されたと表現しています。古代、証印はさまざまな用途に用いられました。律法や契約の写しの認証、箱の中身の品質や量の保証(エゼ28:12)、商取引(エレ32:10~14、44)、契約、手紙(王上21:8)、遺言、養子縁組などの証として用いられました。物に押される証印は、それを押した者の所有権と保護を伝えました。信徒の生涯における聖霊の存在は、信徒が神に属する者であり、彼らを保護するという神の約束を伝えています(エフェ 4:30と比較)。彼らは「約束された聖霊で証印を押されたのです」(同1:13)

パウロの聖霊についての二番目のたとえは、「保証」です。聖霊は私たちが相続を受けることの保証であり、相続が完全に受け継がれる時が来ることを示しています(2コリ1:22、同5:5と比較)。「保証」と訳されている言葉(「アッラボーン」)はヘブライ語の貸付用語で、新約時代の共通のギリシア語で広く用いられ、支払人に追加の支払いを求める「分割払いの初回支払金」「手付金」「頭金」を示すものでした。 しかし、信徒がこの頭金を支払うのではなく、神から受け取っていることに 注目してください。パウロは、信徒の生涯における聖霊の臨在という与えられた相続財産は、キリストの再臨とともにもたらされる救いと贖いという完全な相続財産の初回支払金である、と言います。私たちのなすべきことは、イエス において与えられたものを、感謝と従順な心で受け取ることです。

 

                                                                             

今週からエフェソの信徒への手紙の本格的な学びが始まります。最初の1:3∼14について今週学びます。ここでパウロが一番伝えたかったことは、「あなたがたは救われているんですよ!」ということなのです。もちろん罪の中から救わるのは天国へ行ってからかもしれません。例えば、みなさんが旅行へ行くとしましょう。乗り物や宿を予約して、その日が近づいて来たら、まだ旅は始まっていなくてもでかけることが楽しみになりますよね。そして旅に出ることできないとは考えていないと思います。同じようにわたしたちは、まだ天国へは入れていただいていませんが、神さまから「天国へ入れてあげるよ」と約束されているのです。けれども、そこを神さまが直接「あなたを救うから!」と語りかけてくださるとしたら、はっきりするのですが、このあたりの救済の実感が乏しいのも事実です。これはいつの時代でも問題ではないでしょうか。

そこでパウロは、救われているものとしてのしるしとして、聖霊の導きが与えられていると語っています。聖霊の神さまの働きは、不思議な業をすることだけではありません。日常的に様々なかたちであなたの歩みを導き支えらえます。わたしは施設の責任を負っていました。その中で、どのような選択をしたら良いのか悩んだことは数知れません。けれども不思議なことに、最善の時に必要な人が与えられたり、道が開かれたりします。何度も神さまに感謝の祈りをささげたかわかりません。神さまが、わたしを愛してくださっているからこそ、守り導いてくださるのです。ここまで愛してくださっている神さまが、最後の最期に「あなたを天国へ入れないよ!」とはおっしゃいません。神さまがわたしのために働いてくださっている、これこそが救いのしるしなのです。