安息日学校部

20230211安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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                                      第13課   神の栄光に輝く   6月24日

 

暗唱聖句:「その後、わたしは、大きな権威を持っている別の天使が、天から降って来るのを見た。地上はその栄光によって輝いた。」 黙示録 18:1                                           

今週の聖句: 1 テサロニケ 5:1~6、ヨハネ 8:32、黙示録 18:1、黙示録 4:11、             出エジプト記 33:18、19、黙示録 5:6、12、黙示録 13:8

                                                                     

今週の研究:遅かれ早かれ、最後の出来事は展開します。それが正確にいつ、どのように起こるかは告げられていません。しかし、十分に告げられています。第四条の戒めを守ることとは対照的に、日曜日を守ることを強制する何らかの法律が制定されるでしょう。黙示録は、極めて重要な争点、その出来事に関わる重要な関係者、そして、大まかな流れを明らかにしています。

神は、このメッセージを世に告げるためにセブンスデー・アドベンチストを起こされました。ですから私たちは、自分自身がイエスにある真理に回心し、 黙示録14:6の「永遠の福音」によって変えられ、新しくされる必要があります。この福音は、私たちのためのキリストの死と、キリストにある私たちの救いの保証を中心としています。

                                                                  

日曜日:使徒パウロは、テサロニケの信者たちに、キリストの再臨について語りながら、「目を覚まし」、「身を慎む」ように強く勧めています。パウロが当時の信者たちにそう言ったのであれば、今日の私たちには何と言うでしょうか。

パウロはまた、彼らが「光の子」(1テサ5:5)であり、「暗闇の中」にいないのだから、「主の日(キリストの再臨)」(同5:4)が「盗人のように突然彼らを襲うことはない」(同5:4)と断言しています。イエスは熱心な心からの祈りに関 して「目を覚まして」という表現を用いられています(マタ24:42、同26:40、41)。目を覚ますとは、霊的に警戒することです。慎むとは、私たちが生きている時代にあって、真剣に取り組み、本当に重要なことに目を注ぐことです。

エレン・G・ホワイトは次のように述べています。「真理を知っている私たち は、圧倒的な驚きとしてまもなく世界に襲いかかることに備える必要があります」(『教会への証』第8巻28ページ、英文)。

最後の危機は、世にとっては驚きかもしれませんが、私たちにとっては驚くべきことではありません。私たちはそれがいつ起こるかはわかりませんが、間近に迫っていること、そして今、今日が備える日であることを十分に理解することができます。

                                                                  

月曜日:神の民に対する最後の訴えは、バビロンの誤りから逃れて、神の御言葉にある永遠の真理の光の中を歩むように、というものです。すべての鍵は、聖書です。人々が聖書から離れず、その教えに従っている限り、最後の危機、特に安息日に関して欺かれることはありません。

第二天使のメッセージは、偽りではなく真理を、言い伝えではなく聖書を、 誤った教理の教えではなく神の御言葉の教えを受け入れるように訴えています。

第三天使のメッセージは、第一、第二の天使に続いて、獣の刻印に対する警告を宣べています。聖書の預言は一貫して、獣は政治的、または宗教的権力を表しています。黙示録13章と14章の海から上ってきた獣は、世界的宗教体系 としてローマから出現します。このローマの権力は、やがて全世界にその影響力を拡大し、さらに教会と国家を結合する働きを主導するようになります。そのゴールは、経済的な混乱、自然災害、社会の混迷、国際的政治の危機、世界的な争いが起こるときに、世界統一を成し遂げることにあります。

さらに、この世界的連合の主導権を握るのは、最終的にアメリカ合衆国です。「サタンは、霊魂不滅と日曜日の神聖化という2つの重大な誤りを通して、人々を彼の欺瞞のもとに引き入れる。前者は心霊術の基礎を置き、後者はローマとの親交のきずなを作り出す。合衆国の新教徒は、率先して、心霊術と手を結ぶために淵を越えて手を差しのべる。彼らはまた、ローマの権力と握手するため に深淵を越えて手を差し出す。この三重の結合による勢力下に、アメリカはローマの例にならって良心の権利をふみにじるのである」(『希望への光』1885 ページ、『各時代の大争闘』下巻350ページ)。

これらのメッセージは、キリストに忠実に従う者たちが、彼らの心の中に宿る生きたイエスの信仰によって、神の戒めを守るようにとの差し迫った訴えで締めくくられています(黙14:12)

                                                                  

木曜日:黙示録の冒頭の言葉にあるように、もちろん、この書は「イエス・キリストの」黙示です。それは、ただの小羊ではなく、「屠られた小羊」(黙5:6、12、 13:8)です。つまり、十字架につけられたイエス・キリストです。このことこそ、聖書全体のみならず、黙示録と三天使のメッセージの核心です。私たちの罪のための犠牲である小羊、屠られた小羊、十字架につけられたイエスをメッセージの焦点としない限り、私たちは、自らに与えられた召しに忠実であることも、神がこの教会を起こして託された働きもなすことはできません。

それゆえ、危険な獣、戦争を起こす竜、疫病、迫害、獣の刻印の象徴に囲まれても、小羊、しかも屠られた小羊を私たちの前に、中心に置きます。この方だけを、この方が私たちのためになしてくださったことを、今なされていることを、そして、すべてが終わる前になしてくださることを置くのです。三天使のメッセージは、結局、イエス・キリストそのものです。

                                                                  

今週は今期の黙示録の研究の最終回です。聖書の預言は、途中でいろいろあっても最後に神さまが勝利をされて、罪が滅ぼされて終わります。それだから苦しいことがあっても忍耐して信頼し続けるように、わたしたちに語りかけているのです。神さまを信じて従うことを選ぶのはあなたがしかできません。

日曜日の学びには、世の終わりの備えについて書かれています。使徒パウロは、テサロニケの信者たちに、キリストの再臨について語りながら、「目を覚まし」、「身を慎む」ように強く勧めています。これは終末だからではなく、毎日の信仰生活においても重要なことです。「目を覚ます」与えられている光に気づくこと、「身を慎む」聖書はくりかえし高慢を戒めています。どちらも神さまの声を聞くことができなくなるからです。

月曜日は終末時代のできごとについて、三天使の使命を用いて簡潔に説明しています。わたしたちの教会は「三天使の使命を持っている」と声高に言う人がいますが、ほんとうにその中を理解しているのでしょうか。安息日を守っていない他の教会を非難するだけで終わってしまっていないでしょうか。

わたしは今期の学びで、黙示録の読み方が大きく変わりました。わたしたちは黙示録を読む時に預言や終末時代に起こることに対して目が行ってしまいがちです。けれども「黙示録の中心的な争点は礼拝です。」(ガイド47ページ参照)終末のできごとは、神さまが最善の時を選ばれてなさるのです。わたしたちがすることは、創造主を礼拝することです。黙示録は、どんなことがあっても創造主を信頼して最後まで従って行くように、わたしたちに伝えるために書かれた預言なのです。