安息日学校部

20230204安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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第4   神を畏れ、その栄光をたたえよ   4月22日

 

暗唱聖句:ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。 黙示録 14:12

                                                              

今週の聖句:黙示録 14 章、創世記 22:12、コヘレト 12:13、14、コロサイ 3:1、2、 ヘブライ 12:1、2、1 コリント 3:16、17

                                                              

今週の研究:私たちが知っているように、世の終わりとそれに至るまでの出来事は、冗談ではありません。世界は、大洪水以来の深刻な危機に直面しています。実際、ペトロ自身が終末のしるしとして大洪水の物語を象徴的に用い、昔の世界が水によって滅びたのと同じように、終わりの時代に「天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれ(る)」(2ペト3:10)と警告しています。何がこれから起こるのかを警告されているのですから、私たちもそれに備える必要があります。

 

 

                                                              

日曜日:大争闘の本質は、神への屈服を中心として展開しています。ルシファーは自己中心的でした。彼は自分以外の権威に服従することを拒否しました。また、天の御座におられる方に服従するのではなく、自らがその御座につき支配することを望みました。簡単に言えば、神を畏れるとは、神を第一に考えるということです。自己中心的な考えやプライドを放棄し、完全に神のために生きるのです。

そしてそのことは、明らかに重要であるはずです。なぜならば、3人の天使のうちの、第一の天使の口から出た最初の言葉だからです。

 

 

                                                              

火曜日:少なくとも自分が思考をコントロールする必要があると認識しているときは、 ある意味、思考をコントロールすることは容易であると言えます。しばしば問題なのは、私たちが意識的に正しいこと、つまり「地上のものでなく、天のもの」を考える努力をしない限り、堕落し罪深い私たちの心は、自然に身勝手なこと、この世のものに向かってしまうことです。ですから、パウロが言うように、天のものを選ぶために、自由意志という神聖な賜物を用いて、意識的に、かつ慎重に選択する必要があります。

 

 

                                                              

木曜日:神の御子であるイエスは悪魔の策略に勝利されました。イエスは神の約束を信頼し、御父の御心にご自身の意志をゆだね、御父の力に頼って、誘惑に立ち向かわれました。イエスに信頼し、イエスを見つめ、イエスを信じれば、私たちも勝利することができます。イエスは私たちのすべてであり、第三天使のメッセージはすべてイエスについて述べています。黙示録のメッセージは、敗北ではなく勝利のメッセージです。それはイエスの恵みと力によって勝利する人々について語っています。

「勝利する」という言葉は、何らかの形で黙示録の中で11回使われています。1世紀から現代までのキリスト教会を表している七つの教会の幻は、どの時代にも「勝利する」信者たちがいる、とヨハネは言います。終わりの時には、「勝利を得る」者はすべてのものを受け継ぎます(黙21:7)。これは律法主義ではありません。イエス・キリストを通しての勝利であり、キリストの完全な義のご生涯、それだけが、勝利を得る者に永遠の命の約束を与えます。それは行いを伴う信仰です。信じる者の命のうちにあって、生まれ変わり、人生を変える、奇跡の恵みなのです。

 

 

                                                              

今期わたしたちが学んでいる三天使の使命の最初の言葉から今週は学びます。それは「神を畏れる」です。これはわたしたちの立場を示すものです。わたしたちは何を信頼して生きるのかは、それは一人ひとりが決めねばならないことです。

第一天使の使命の冒頭にある、神を畏れと命じられていますが、新共同訳聖書は「畏れ」、口語訳聖書では「おそれ」とひらがなで表記されています。最も新しい共同訳では「畏れ」、新改訳聖書は「恐れ」になっています。聖書研究ガイドには「ここでは、神を恐れるという意味よりも、「畏敬する」「尊敬する」といった意味で用いられています。それは、神に対する絶対的忠誠の念、神の意思に対する完全な屈服を意味します。それは自己中心ではなく、神中心の心の姿勢です。」と教えています。

聖書はくりかえして謙虚であるようにわたしたちに勧めています。自らを信じて自らを神としてしまうこと、それは滅びに至る道を進むことです。なぜならこの死の鎖からの解放は自分ではできないからです。謙虚であることは、自らの弱さを認めることです。そうすることによって、もっと大きな力の必要を知ることができるのです。わたしたちはうまく行っている時ほど、失敗もしているのではないでしょうか。

そして暗唱聖句の最後には、忍耐が必要と勧められています。神さまを信じる道は、残念ながらすべてが解決して花畑の中を歩くような道ではありません。けれども神さまを信じることは、その苦しみをも神さまが最善に用いてくださる、そしてそれを通して成長できることを信じて進む道なのです。信じる者が忍耐できるのは、その後に与えらえる希望がはるかに大きいからです。神さまがわたしを愛してくださり、すばらしい恵みを与えてくださったからこそ、その神さまを服従する、それが畏れることではないでしょうか。