第2課 運命の時 4月8日
暗唱聖句: また、わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」 黙示録 14:14、15
今週の聖句:マタイ 24:14、黙示録 14:14~20、マタイ 16:27、使徒言行録 1:9~11、 マルコ 4:26~29、黙示録 16:1
今週の研究:三天使のメッセージは、イエスの最後の恵みのメッセージであり、私たち自身の義に頼ることから、私たちを義とし、清め、終わりの時に栄光を与えてくださるイエスの義に頼るようにと、私たちを導く呼びかけです。
しかし私たちは、いつもそうであるように、キリストを選び、キリストにゆだね、キリストに従うことを選ぶ必要があります。今、行う選択は、私たちの前途にある最後の危機において行う選択に、実際に、影響を与えます。ですから、今こそ、備えをする時なのです。
日曜日:もちろん、私たちは、毎日、「ささいなこと」と呼ばれるような選択においても、イエスにつくか、背を向けるかを選んでいます。現在の生活で絶えず誤った選択をしている人が、最後の危機の時に突然イエスの側につくことはないでしょう。特に悪の全軍が神の民に敵対している時には、なおさらです。私たちは、今、今日、そして日々、キリストとその戒めに忠実であることを選ぶ必要があります。「神を愛するとは、神の掟を守ることです」(1ヨハ5:3)。エレン・ G・ホワイトも次のように述べています。「イエスは再臨の時に人の品性をお変えにはならない。品性の改変の働きは、今なされなければならない。私たちの毎日の生活は、私たちの運命を決定しているのである」(『終わりの時代の諸事件』 284ページ)。
木曜日:十字架以上に、神は何をなさることができるのでしょうか。聖霊を繰り返し拒んできた者たちを贖うためにできる恵みは、これ以上ありません。
黙示録14章には、差し迫った預言的メッセージがあります。すべての種が収穫されます。穀物はすっかり実り、ぶどうは完全に熟しています。神の民は、恵み、同情、あわれみ、愛といった神の性質を宇宙の前に現します。邪悪な者の子らは、貪欲、情欲、嫉妬、憎しみといった性質を現します。一つのグループはキリストのご品性を表し、もう一方のグループはサタンの品性を表します。
宇宙は、神の民の中に、おそらく、それ以前の世代が目にしたことのない義の啓示を見るでしょう。一方、キリストの民に示されたキリストの義とは対照的に、宇宙は神に対する反逆の完全な結果を見るでしょう。邪悪、不道徳、罪、不法が、人と天使の前にすべて明らかになります。善と悪、正しさと不正、従順と不従順が、人と天使の両方に、つまり全宇宙に明らかになるのです。
金曜日:私たちの品性や人格は、私たちが心にまいている種によって、微妙に、わずかに、初めはほとんど気づかれずに変化します。良い種をまけば、あなたは良い実を結ばせます。この世の悪い種をまけば、あなたは自らの品性にこの世の実を結ばせます。もし私たちが、神や霊的価値、優先順位に対して無頓着という種をまくならば、私たちは無頓着という実を結ぶことになります。それは、 無感動、霊的自己満足、霊的生活に対する失望という実です。ですから、「私は、いつか終わりの時の迫害が来ることや『獣の印』のことなどは知っています。 しかしまあ、その時が来たら、しっかりしよう」と考えるような人たちは、非常に危険な道を選んでいます。神は、今、この瞬間に、私たちの人生を神に明け渡すように招いておられます。聖霊に対する応答を遅らせれば遅らせるほど、人の魂は神の招きに対してますます頑なになり、悪しき者の嘘により影響を受けやすくなったり、信じやすくなったりします。
出会いは別れの始まりということわざがあります。わたしどもの施設でも年度末で退職される方がいます。いっしょに家族のように働いて来たので残念です。このようにわたしたちの世界には永遠に続くものはありません。同じように、この世界も必ずいつか終わりが来るのです。聖書は預言を通して、終わりが来ることと、その日が近いことをわたしたちに教えています。
今週の学びの中に「その時が来たら、しっかりしよう」と考えるような人たちは、非常に危険な道を選んでいます。」と書かれています。神さまと離れ、世の楽しみに染まった習慣を選び、その道を歩みを続けていたら、細く険しい道へ戻ることは難しいことです。またそこへ戻る理由が、罪を悔い改めて罪から離れるためではなく、最後の裁きからの恐怖だとしたら、それは悔い改めと言えるのでしょうか。そして100歩ゆずって、再臨の日がわかったとしても、わたしたちはその日まで生きる保証はどこにもありません。明日にでも突然最期を迎えるかもしれないし、そうしたらわたしは再臨まで目覚めることがありません。罪を悔い改めて、キリストの義の衣を着せていただくことを選ぶことを明日まで持ち越してはいけないのです。
三天使のメッセージは、わたしたちが誰を信じてすがっているのか、終わりの時にあたり問いかけられているのです。バビロンを倒すのは神さまです。しかしバビロンから出ることを選ぶのはあなたのすることです。終わりの時に、今わたしができること、しなければならないことは何かしっかりと見極めて、それを行いましょう。それが最善の終わりの時の備えなのです。