第7課 創造主を礼拝する 5月13日
暗唱聖句:「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。」 黙示録 4:11
今週の聖句:黙示録 1:9、イザヤ 40:26、2 コリント 5:17、コロサイ 1:17、 黙示録 4:11、 ヨハネ 19:16~30
今週の研究:宇宙とその中にあるすべての荘厳、壮大、かつ驚くべきものは、そもそもなぜ存在するのでしょうか。もし、宇宙とその中にいる私たちが存在しなかった ら、どのような大きな論理的矛盾が生じるのでしょうか。最新の科学理論(そ れらは変わる傾向にあります)によると、この宇宙はかつて存在していませんでした。言い換えれば、私たちは偶発的な存在であり、私たちがここに存在していることはまったくの奇跡なのです。宇宙は絶対的な無から生じたとか、ある種の数学的方程式によって生じたとか、いろいろな説があります。しかし、私たちの住む宇宙は、創造主なる神が、宇宙とその中のすべてのものを造られたので存在しています。
日曜日:黙示録の中心的な争点は礼拝です。私たちは礼拝をする存在として造られました。私たちはみな、何かを、あるいはだれかを礼拝しています。真の礼拝、すなわち創造主を礼拝することは、私たちが人生の真の目的を見いだすことを可能にします。それは私たちに生きる理由を与えます。それは私たちに、何のために死ぬかだけでなく、さらに重要な、何のために生きるのか、必要であれば試練に耐えるための理由も与えます。事実、最後の危機に際して、次の言葉の意味をもっとよく理解できるようになるでしょう。「わたしたちが神の国に入 るには、多くの苦しみを経なくてはならない」(使徒14:22)。
火曜日:私たちの神についてのすばらしい知らせは、神の偉大さと力があまりに広大で、宇宙を超えると同時に、私たち1人ひとりの人生にも及ぶということです。 神は、私たちを造り直し、練り、神のみ姿に似た者として造り変えることを約束されています。これが何を意味するか考えてみてください。数十億もの銀河を創造し、支えておられる神は、私たちがその「うちに生き、動き、存在している」(使徒17:28、口語訳)だけでなく、私たちの心のうちに働き、新しい心を与え、罪を取り除き、キリストにあって私たちを新しい被造物として造り変えてくださるのです。このような力をお持ちの神が、私たちを愛し、思いやってくださっているということは、なんと力強い慰めになることでしょう。
水曜日:第一天使のメッセージを見てください。「永遠の福音」、「裁きの時」、「創造主を礼拝せよ」。これらの主題は非常に密接に結びついています。私たちが裁きを受けるために創造主の前に立つとき、福音だけが私たちに希望を与えます。「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません」(ロマ8:1)。今、罪に定められることも、そして、裁きにおいても罪の宣告を受けることはありません。
創造主としての神のメッセージは、現在の真理の中心です。なぜなら特に現在は、進化論が「キリスト教」の衣をまとい、キリスト教信仰の基礎全体を破壊する恐れがあるからです。
このような進化論的思想が猛攻撃を加える中で、神は教会を建てられました。 まさにその名前自体が進化論の思想に反対する証人として、創造主であり贖い主である神の根本的な真理を宣言する一つの民を起こされたのです。
さらに、進化論は十字架上でのイエスの死という概念そのものをあざ笑います。なぜでしょうか。パウロは(ロマ5:17~19参照)、アダムによって入り込んだ罪をイエスの死と不可分に結びつけています。アダムとイエスの間には直接的な関連があります。しかし、どのような進化論の仮説をもってしても、罪のないアダムが死を持ち込むことはあり得ません。なぜなら、それらの仮説は、死、つまり何百万年にもおよぶ死が、そもそもアダムを創造するために必要な影響力であり、力であったと考えるからです。
進化論は、十字架という聖書の基礎をその初めから破壊するものです。これに対して、セブンスデー・アドベンチストは、創造主を礼拝せよと全世界に呼びかけ、この偽りに対する生きた証人として立っています。
今週の学びは、三天使の使命の中心となるメッセージです。日曜日の引用文に「黙示録の中心的な争点は礼拝です。」と書かれています。黙示録というと終末についての預言と考えてしまいます。たしかに世の終わりについての預言は大切ですが、世の終わりの時を決めて、裁きを行ない、そしてわたしたちを練り清めるのは神さまの働きです。そこにわたしたちの意思が入ることはありません。そのような時、わたしたちに問われているのは何を礼拝するか、それは何を主として信頼するか、黙示録はわたしたちに問うています。
わたしたちが礼拝する神さまは創造主です。このメルマガで何回も書いていますが、聖書を理解する公式は「神さまが創造主」であることです。神さまが命じることで地球ができたとしたら、その神さまの力があれば、天から火を降らしたり、亡くなった人を蘇られることは、神さまにとっては簡単なことなのです。それだから、創造主なる神さまを礼拝することは、とても大切なことです。
もう一つ、キリスト教会の中にでも進化論的な考えが入っています。いのちの始まりは神さまが創造されたけれども、あとは時間をかけて今日まで世界はできあがってきたという考えです。創造の一日ではなく、一段階ごとに進化をしているという考えです。この考えを信じる教会が多いことも事実です。これはいのちの始まりについて信仰と人間の理性で考えることの折衷案ですね。
わたしたちの神さまは創造主です。だからこそわたしたちの罪を清めてくださり再創造をしてくださる力があるお方なのです。そのことを信じるように、三天使の使命は呼びかけているのです。