第11課 困難な時代に管理する 3月18日
暗唱聖句:「告白を神へのいけにえとしてささげ/いと高き神に満願の献物をせよ。それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって/お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」 詩編 50:14、15
今週の聖句:歴代誌下 20:1~22、歴代誌上 21:1~14、2 ペトロ 3:3~12、1 ヨハネ 2:15~17、 黙示録 13:11~17
今週の研究:試練の時、言い換えれば、これまで以上に主に頼る必要がある時、聖書の原則に基づいた、私たちが従うべきいくつかの具体的なステップがあります。
火曜日:私たちは神の御言葉から、神が私たちの荷物を天に運ぶための引越しトラッ クを送られないことを知っています。この地上のものは、キリストの御手の傷跡を除いて、すべての罪と悪の痕跡が永遠に消え去るときに、最後の大火のうちに焼き尽くされるでしょう。
では、私たちは自分の財産をどうすべきでしょうか。「今こそ、財産を増やさないで、むしろ整理すべきである。われわれは、もっと良い国である天へ引っ越そうとしている。だから地上の住民にならないで、持ち物をできるだけ簡素にしよう」(『祝福に満ちた生活─スチュワードシップに関する勧告』70ページ)。
セブンスデー・アドベンチストのクリスチャンとして、私たちは常に、永遠の光の中で生きなければなりません。もちろん、私たちが自分と家族の必要のために一生懸命働くことは必要です。また、もし私たちが富に恵まれているなら、貪欲にならずに、必要としている人々に与えることに寛大でありつつ、今 それを楽しむことは何も悪いことではありません。しかし、なお、私たちが地上で蓄えたものはどれも、束の間で、はかないものであり、注意深くしなければ、霊的に堕落させる可能性があることを常に覚えておく必要があります。
水曜日:パウロが、「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」(コロ3:2)と書いたのも不思議ではありません。もちろん、言うは易く行うは難しです。なぜなら、この世のものは毎日、私たちの目の前にあるか らです。「世にあるものすべて」の魅惑は強く、すぐに欲望を満たしたいという衝動は、耳元でささやくか、シャツの袖を引っ張るか、またはその両方でいつもあります。最も忠実なクリスチャンでさえ、「世の中のもの」への愛着を感じたことがない人はいないでしょう。いつの日か、すべてが終わると知りながらも、私たちはなお、心を引かれるのではないでしょうか。しかし、良き知らせは、それらのものに私たちを主から引き離させる必要はないということです。
木曜日:神はモーセを通して、什一の制度を定められた理由の一つを、「常にあなたの神、主を畏れることを学ばねばならない」(申14:23)からであると説明され ました。詩編31:20(口語訳31:19)の詩的な並列表現の中に、恐れは、信頼と同義であることがわかります。 「あなたを恐れる者のためにたくわえ、あなたに寄り頼む者のために/人の子らの前に施されたあなたの恵みは/いかに大いなるものでしょう」(口語訳)。
この並列表現は、主を畏れることは主を信頼することであることを示してい ます。ですから、神が什一を制定されたのは、私たちを利己心から守り、神が 必要なものを与えてくださることを信頼するように、私たちを励ますためであったことを、私たちは知ることができるのです。
今週は、危機においてわたしたちがいかに行動するかについて学びます。その前に、今期の学びは財産などについて神さまのめぐみの管理者としていかに生きるかを学んでいます。それはわたしたちが何を信頼しているかを示しているものでもあり、危機に瀕した時は、いつも以上に祈りと神さまの助けが必要となります。わたしたちが管理者としてどのように生きたら良いのでしょうか。
月曜日の学びでヨシャファト王の戦いが書かれています。ここでは神さまは彼らに「神さまが戦うから何もしないでいるように」命じました。旧約聖書には戦争の記述がありますが、戦い方は大きく分けれ三種になります。まず今回のヨシャファト王のように何もしないで神さまが戦うという戦争、次に民は少人数では戦うが神さまが主に戦われる戦いで、士師記6~8章のギデオンの戦いなどがその例です。そして最後には民も全力で戦うように求められる戦いです。どのような戦いになるのか決めるのは神さまで、人間の側からこのように戦いたいと求めているのではありません。
今日のわたしたちの信仰の戦いでも同様です。時によっては何もしていないのに道が開かれて解決することもあるでしょうが、いっしょうけんめいに戦っているうちに道が開かれて勝利することもあるでしょう。今日、残念ながら神さまがわたしたちに直接お語りになることはほとんど無いので、その声を聞くまで待つということは考えない方が良いと思います。何もしないで待つのではなく、今できる戦いを進めて行くこと、途中経過で何が起こるかはわかりませんが、神さまが最善の道を開いてくださると信じて、あなたのできることを邁進すること、それがわたしたちのやらねばならないことではないでしょうか。
木曜日の学びで、信頼のあかしとしての什一について書かれています。聖書に書かれていることを信じているので、わたしたちは什一をささげます。これは神さまを主人としているからこそ、当然のものとしてわたしたちは神さまにお返しするのです。その結果、祝福を受けたいがためではなく、神さまの主従関係を示すためのささげものであり、その思いの根底には、神さまがわたしを愛してくださっているからこそ最善の道を開いてくださるという信頼関係にあるのです。
神さまを信じたら苦しみが無くなるとは聖書には書かれていません。けれどもそこから最善の道を開いてくださる、また苦しみを用いて成長させようとする神さまをわたしたちは信じているのです。