第5課 負債をどう扱うか 2月4日
暗唱聖句:「金持ちが貧乏な者を支配する。借りる者は貸す者の奴隷となる。」 箴言 22:7
今週の聖句:申命記 28:1、2、12、マタイ 6:24、1 ヨハネ 2:15、箴言 22:7、箴言 6:1~5、申命記 15:1~5
今週の研究:なぜ負債は、ほとんどの国で、個人、企業、政府のレベルを問わず苦難の原因となっているのでしょうか。いずれの社会においても、少なくとも数パーセントの割合で債務を持っている人はいました。しかし今日では、より多くの人々が負債を抱え、しかもそれが負債を負う人の益になることは、ほとんどありません。
今週、負債の理由と負債をどう扱うかについて考えます。あなたには負債がないかもしれませんが、この価値ある情報を家族や友人と分かち合うことは、 彼らの益となるでしょう。
月曜日:私たちは物質的な存在であり、物質的な世界に生きています。この世界は時として、非常に魅力的です。物質的な所有欲や富への欲望を感じないためには、生身の人間ではなく、鉄と合成油からできた人間である必要があるでしょう。だれもが一度や二度は、金持ちになることや宝くじに当たることを夢見たことがあるでしょう。
私たちは皆誘惑に遭いますが、良い生活を送るために一生懸命に働くこと、 裕福になること自体が悪いことではありません。また、金銭、富、物質的な所有物を偶像にする罠に陥る必要はありません。私たちは、正しいことに忠実であり続けるための神の力が約束されています。これは重要なことです。なぜなら、富と物質的な所有物への誘惑は、多くの魂を滅びに導いてきたからです。
水曜日:保証人は通常、信用力の低い人が、金融機関に融資を求め、融資を断られた場合に必要になります。融資担当者は、融資を受けることができない人に、信用力のある友人が一緒に連署すれば、銀行は融資を行うことができ、債務不履行の場合には、連帯保証人に責任を負わせることを伝えます。
時には、教会の仲間があなたのところにやって来て、連帯保証人をお願いすることがあるかもしれませんが、あなたは、「聖書には、そのようなことをしてはいけないと書いてあります」と答えるべきです。聖書は、困っている人の助けになることを勧めていますが、人の負債の責任を負うべきではないと勧めていることを理解してください。
未成年の子どもが初めて車を購入する際に、親は子どもから連帯保証人になって欲しいと頼まれることがあります。あるいは、年長の成人した子どもから事業のために連帯保証人になってほしいと頼まれることがあります。そのようなときにも同じように答えるべきです。本当に必要であれば、他者を助けることは正しいことです。しかし、連帯保証人になるべきではありません。調査によれば、連署した人の75パーセントが、最終的にその負債を負っています。
木曜日:理想的な世界では、借金も負債もないでしょう。しかし、私たちはそのような理想郷に住んでいないので、借金をする必要がある場合があります。できる限り良い条件で、最も良い金利であることを確認してください。そして、必要最小限の額を借り、金利負担を軽減するためにできるだけ早く完済しましょう。しかし、原則的には、できる限りの努力をして負債を負うことは避けるべきです。日々の生活で聖書の経済の原則に従うことは、不必要な負債と、負債が私たち自身や家族に与える恐ろしい災いを避けるために、大いに役立ちます。
今週は、負債について教えています。今日、日本において住宅ローンや教育のローンなどの長期の借り入れなどをしている方はほとんどではないでしょうか。また借金をして事業を開始したり拡張したりすることはあたりまえに行われています。事業の場合は利益が多く出ると納税義務が生じるので節税も兼ねて借金を続ける場合もあるかもしれません。数年前、わたしたちの施設でも外壁塗装を含めた数千万の経費がかかる大規模修繕を行なうことになりました。そのために当初は積み立てを取り崩すことで工事しようと考えていました。けれども超低金利の時代だったので、取引銀行と相談をして修繕にかかる経費の8割を借入することにして、4年間で返済する計画をたてました。借り入れをしないで、返済の分を定期的に積み立てて行けばよいのでしょうが、一度取り崩してしまうとなかなか貯めるのが難しいこともあり借り入れをすることにして、4年間で完済できたので積立資金を残すことができました。このように長期に借り入れをすることによって、大きな仕事が可能になるのも事実です。けれども一つ間違うと、借り入れ金を返すことができず倒産する危険もあります。
負債について気をつけないといけないのは、二点あると考えてます。まずは短期の借入となるクレジットカードなどです。わたしが就職した当時、クレジットカードは持っていましたが、大金を持って買い物に行きたくない時に使ったことが多く、本来現金で払う金額をクレジットの支払いのために別に用意して置いたほどでした。けれども今日はスイカなどの交通系カードやペイペイなど便利さを売り物にして現金の代わりに決済をできるシステムが増えています。またネットショップなどの決済もクレジットカードを使うと楽にできます。そしてポイントなどを付与することで、クレジットカートのサービスを少しでも使わせようとしています。ここで大切なことは、買おうとするしているものがほんとうに必要なものであるかということです。またそれは自分の収入に見合ったものでしょうか。悪魔は欲望を刺激してそそのかしますが、必ずその請求書はあなたに届くのです。
もう一つの問題点は、一獲千金を狙うことです。福祉の仕事をしていると、ギャンブルにはまって経済的に困窮してしまった方に出会うことがあります。酒、たばこに加えてギャンブルには近づかないことは、豊かな老後への秘訣だと子どもたちに語っています。不労所得と言われるものがたまたま入ってきたら、それはラッキーですが、世の中そんなに甘くなりません。若いころ株に興味を持ちました。けれども税理士の先輩から「十一(といち)の原理」について聞かされました。什一ではありません。それは10人やって1人しか儲からないのが通例ということです。みんながみんな儲かれば、もっと多くの人がやってきます。そして株の動きに一喜一憂する人生は、お金の奴隷となってしまうのではないでしょうか。だからわたしは変動が大きな金融商品には関わっていません。
大切なことは、与えられえた働きをいっしょうけんめいに果たし。そしてその中で神さまを信頼して生活をして行くことです。この原則は聖書の時代も現代もかわりません。いつの時代も悪魔は様々なものを用いてわたしたちを誘惑しています。簡単に豊かになれる、この物欲への誘惑は日常で最も陥りやすいものの一つです。ほんとうに大切なものが何なのか、しっかりと見極めて行きましょう。