第7課 死に対する 11月12日
暗唱聖句: わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰 府の鍵を持っている。」黙示録 1:17、18
今週の聖句マタイ 27:62~66、ヨハネ 10:17、18、マタイ 27:51~53、ヨハネ 20:11~29、 1コリント 15:5~8
今週の研究:キリストの死は、復活がなければ何の意味もありません。だからこそ、イエスの復活は、キリスト教の信仰と救いの計画にとって、 とても重要なのです。
今週、私たちはキリストの復活と、復活を信じるためにキリストがお与えになられたあらゆる力強い証拠を学びます。
日曜日:キリストは、地上での働きの間、ご自分の十字架の死だけでなく、復活も預言しておられました。イエスは、「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる」(マタ12:39、40)と言われました。イエスは他の機会にも、自分は殺されるが、三日目に復活すると(同16:21、17:22、23、20:17~19)明確に繰り返して語られました。祭司長やファリサイ人たちは、この言葉を覚えていて、主の復活を阻止するための策を講じたのです。
マタイ27:62~66によれば、彼を墓に閉じ込めておくためのすべての対策は、死と悪の軍勢に対する彼の勝利をいっそう際立たせただけでした。なぜならば、復活を阻止するためのあらゆる対策が取られていたからです。
少なくとも、祭司長たちの行動は、彼らがどれほどイエスを、彼の死んだ後も恐れていたかを明らかにしています。祭司長たちは心の底では、イエスが復活するかもしれないと恐れていたのです。
火曜日:地震はイエスの死のしるしでした(マタ27:50、51)。復活されたときにも別の地震が起こっています(同28:2)。イエスが死なれたとき、「地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れ」(同27:51~53)ました。これらの聖なる者たちは、キリストの復活の証人として、また終わりの時によみがえる者の予型として、栄光のうちによみがえりました。このように、イエスの復活の直後に、復活を信じ、救い主とし てイエスを受け入れるための力強い証拠がユダヤ人に与えられました。そして、 祭司たちを含む多くの者が復活を信じ、イエスを受け入れたのでした(使徒6: 7参照)。
キリストの復活のときによみから出て来た者たちは永遠の生命によみがえったのであった。彼らは、死とよみに対するキリストの勝利を記念する者として、キリストと共に昇天した。……
これらの人たちは都へ行って、多くの人に現れ、キリストが死人の中からよみがえられ、われわれはキリストと共によみがえったのだと宣言した。こうしてよみがえりについての聖なる事実が不滅のものとなった」(『希望への光』1091 ページ、『各時代の希望』下巻317ページ)
金曜日:弟子たちは全員、復活したイエスの幻覚を見たのだと主張する者もあれば、 イエスは実際には死んでおらず、十字架から降ろされた後に意識を取り戻しただけで、再びイエスが現れたとき、弟子たちは、イエスは死からよみがえったと思ったのだと主張する者もいます。さらに、(信じられないことですが)イエスには双子の兄弟がいて、弟子たちはその兄弟をイエスと勘違いしたと主張する者さえいます。言い換えれば、キリストの復活の歴史的証拠があまりにも確かであるために、それを否定するために、人々はこのような種類の主張を議論するのです。復活は非常に重要です。だからこそ、私たちが信じるために十分な証拠が与えられていることは驚くことではありません。
今週は、キリストの復活の証拠について学びます。約2000年前に復活されたキリストの実際に会った人はすべて眠りについてしまっています。わたしたちは復活の事実を信じることしかできません。けれども金曜日の引用文にあるように、キリストの復活は実際にはなかったと論じる人もいるわけです。青森県の十和田市の近くにはキリストの墓があります。十字架に架かったキリストは身代わりで、彼はユダヤから青森県まで逃げてきて、ここで一生を終えて葬られた土が盛られた墓があります。
わたしが教えられてきたキリストが復活されたという証拠は3つです。まず最初に、弟子たちの変化です。十字架後に隠れ家こもっていた彼らが、いのちをかけて全世界へ出て行って福音を宣べ伝えるようになったことです。二番目は復活の主に出会った人数の多さです。パウロは500人以上と語っています。(コリント第一15:6参照) 三番目は、もし復活が無かったとしたら、2000年も語り継がれていないでしょう。そのうちに消えてしまって行ったでしょう。けれども今でも全世界の人が希望として信じています。
火曜日の引用文には、キリストの復活とともによみがえった人について書かれています。聖書にはあまりくわしく書かれていませんが、彼らはキリストが復活したあかしとなったのです。何回も書いていますが、聖書を読む公式「神さまは創造者である」ということを信じることができれば、無から有を創造することができる神さまの力があれば、復活は決して難しいことではありません。そしてこの約束を信じるわたしたちも同じ約束によって、よみがえって天国へ迎え入れていただけるのです。