第6課 彼はわたしたちのために死なれた 11月5日
暗唱聖句:そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。ヨハネ 3:14、15
今週の聖句:黙示録 13:8、マタイ 17:22、23、マルコ 9:30~32、ヨハネ 19:1~30、 ローマ 6:23、 1 コリント 1:18~24
今週の研究:キリストの復活は、私たちの信仰の中心です。なぜならば、キリストが復活したことにより、私たちの復活は保証されているからです。しかし、キリストは死からよみがえられる前に、もちろん死ななければなりませんでした。そのために、ご自分の死を前にして、ゲツセマネの園で苦悩し、「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。 しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ」(ヨハ12:27)と祈られたのです。そして、その目的は死なれることでした。
今週は、キリストの死と、それが永遠の命の約束にどんな意味を持つかに焦点を当てて学びます。
日曜日:「地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう」(黙13:8)。ここで重要なのは、キリストが「天地創造の時から、屠られた」ということです。この聖句は 明らかに象徴的な意味で理解しなければなりません(黙示録は象徴で満ちています)。なぜなら、キリストが十字架につけられたのは、天地創造から数千年の後のことだからです。この聖句は、救いの計画は天地創造の前に立てられていたことを述べています。そしてその計画の中心は、十字架につかれる神の小羊であるイエスの死なのです。
火曜日:キリストは十字架から降りてご自身を救うことができたのでしょうか。はい、可能でした。しかし、そうはなさらなかったのです。ご自身をあざける者を含む全人類に対する無条件の愛は、彼らを見捨てることを許さなかったのです。 実際、「そのあざける者たちのためにも、彼はその救いのために死のうとしていたのであった。彼は十字架を降りて自分を救うことはできなかった。なぜなら彼は、釘によってではなく、彼らを救いたいとの意思によって捕らえられていたからであった」(アルフレッド・プラマー『マタイによる福音書の釈義的注解』 397ページ、英文)。
木曜日:十字架の意味について考えるとき、私たちが覚えておかねばならないいくつかの重要な点があります。
第一に、十字架は罪に対する神の正義の最高の啓示でした(ロマ3:21~26)。
第二に、十字架は罪人のための神の愛の最高の啓示でした(同5:8)。
第三に、十字架は罪の鎖を断ち切る偉大な力の源です(同 6:22、23、1コリ1:17~24)。
第四に、十字架は私たちの永遠の命の唯一の希望です(フィリ3:9~11、ヨハ3:14~16、1ヨハ5:11、12)。
そして第五に、十字架は宇宙における将来の反逆に対する唯一の対抗手段です(黙7:13~17、同22: 3)。
金曜日:人間を救うために、神のなし得るすべてがなされて後、もし人が提供されたイエスの憐れみを軽視するならば、死が彼らの受ける分となり、それは非常に高い代価を支払ったことになります。そして、それは恐ろしい死となるでしょう。なぜならば、彼らは救いを拒絶しましたが、キリストがその救いを買い取るために十字架上で味わわれた苦悩を、彼ら自身が味わわなければならなくなるからです。そのとき、 彼らは、自分たちが失ったものが何であるか、すなわち、永遠の命と不滅の嗣業であることを悟るのです。人間を救うために払われた大きな犠牲が、それらの価値を示しています。かけがえのない魂が一旦失われると、それは永遠に失われることになるのです」(『教会への証』第1巻分冊①127、128ページ)
今週の暗唱聖句は、ヨハネ3:16の前になる聖句です。キリストは働きの初期で、しっかりと十字架について話されていたのです。そしてニコデモは、十字架の時に三年前のことを思い出して、すぐにキリストの亡骸を十字架から降ろすために奔走したのではないでしょうか。
日曜日の引用文に書かれていますが、十字架は自由意志を与えられた人間が罪を犯してしまったために、急いで対応策を講じたのではなく、神さまは創造の前から自由を与えることによって人間が罪を犯すことを予見され、準備をなさっていたご計画なのです。人間が罪を犯すことがわかっていて、なぜ創造されたのか?などは永遠の謎ですが、天国で神さまはそこを明かしてくださることでしょう。その時には、わたしたちは神さまの深い愛に感動することになります。
今週の研究の冒頭に、キリストの復活は、わたしたちの復活の保証と書かれています。キリストは十字架ですべての人の罪をあがない、そして復活で天への道を開かれました。創造の神さまは、無から有を生じさせる力がおありです。キリストの復活は、その神さまの力を証明したものでもあるのです。
金曜日の引用文になりますが、神さまはわたしたちの救いのために、神さまがなさることはすべてなさってくださいました。次にわたしたちのしなければならないことです。それは十字架の愛を受け入れることです。そうすると神さまはわたしたちを天へ導いてくださるのです。神さまが語りかけて、わたしたちが応えて、そしてまた神さまが光を与えて導いてくださる、このように人間と神さまがそれぞれのやらねばならないことを果たすことが、永遠の救いへの道となるのです。