安息日学校部

20220309安河内アキラ解説

2022年第3期「試練を共にされるキリスト」

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第9   賛美の人生   8月27日

 

 

暗唱聖句  「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」 フィリピ 4:4

                                                                 

今週の聖句  フィリピ 4:4~7、ヨシュア記 5:13~6:20、詩編 145 編、 使徒言行録 16:16~34、  歴代誌下 20:1~30

                                                                 

今週の研究 いつでもうれしいときに大きな声で主を賛美するのは簡単です。しかしながら、物事がうまくいかないとき、想定される最悪の状況にあるとき、試練のるつぼが熱く熱せられているときに賛美することは簡単ではありません。しかし、そのようなときにこそ、おそらく他のどのようなときにも増して、私たちは主を賛美する必要があるのです。なぜなら、賛美は私たちの信仰を保つために助けとなる一つの手段であるからです。

賛美は行動に現された信仰です。それは私たちにとって必ずしも自然なことではありません。しかし、人生の一部になるまでに賛美を実践するとき、それは回心と勝利する力があるのです。

                                                                 

日曜日:すべてが順調なときに喜ぶことは普通です。しかしパウロは、いつでも喜びなさいと訴えます。これは不思議なことのように思えます。しかし文字通りに受け取るなら、パウロの手紙には二つの重要な意味が含まれています。

第一に、常に喜ぶとは、私たちの周囲の状況が何ら喜ぶ状況にないときでさ え喜ぶことを意味します。第二に、常に喜ぶとは、そのような気分になれないときにも喜ぶことを意味します。

パウロは、まったく喜ぶにはそぐわないと思えるときにも、神を賛美するように勧めています。それは理屈に合わないことに思えます。しかし私たちは、 まさに理屈に合わないと思えるときにこそ、喜ぶように招かれているのです。 言い換えれば、賛美は信仰の行為です。ちょうど信仰が周囲の状況でなく、神についての真実に基づくのと同じように、賛美は気分がいいからではなく、神はどのような方であり、私たちに何を約束してくださったかについての真実に基づく行為なのです。さらに驚くべきことに、そのような信仰こそが、私たちの思想と感情、そして状況をも形づくります。

                                                                

火曜日:偉大なイギリスの説教家チャールズ・スポルジョンは、『賛美の実践』と呼ばれる本を書きました。この本は詩編145:7に基づいています。この短い節からスポルジョンは、賛美の人生にするために必要な三つの注目すべきことを挙 げています。

  1. 周囲に目を向けること 私たちの周りにある神の偉大さに気づかなければ、賛美する理由を見つけることができません。あなたは神が創造された世界に、創造の美しさといった賛美に値するものを見ることができますか。また霊的な世界に、若いクリスチャンの信仰の成長のように、賛美に値するものを見つけることができますか。
  2. 見たものを忘れないこと 賛美の雰囲気の中に生きたいと望むなら、その理由を覚えていなければなりません。どうすれば私たちは神の偉大さを覚えていられるでしょうか。神の善意を思い出させる儀式やシンボルを新たに作ることなどによって神の善意と真実を忘れないでいられるでしょうか。
  3. 見たものについて語ること賛美することは頭の中だけで完結しません。 それは言葉となって口から出、聞く人の耳に入ることを意味します。あなたには言葉をもって神を賛美するどのような理由がありますか。そのような聞こえる形での賛美は、どのような人たちの上に、どのような効果をもたらすでしょうか。

                                                                 

水曜日:私たちの賛美が、周囲の人々の永遠の運命を変えることができると考えるのはすばらしいことです。もしパウロとシラスが、囚人たちが通常するように、 ぶつぶつ不平を訴えていたなら、この夜、だれが救われたでしょうか。

その後、看守とその家族に何が起こったかはわかりません。しかし、後にパウロがローマの牢獄で書いた手紙を読んでいたかもしれません。「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」(フィリ1:29、30)。彼らはこれを読み、パウロの苦しみがどのように 彼らに喜びをもたらしたかを思い起こし、彼らの心に賛美をもたらし、どのような犠牲を払ってでも忠実であり続けるための新たな挑戦へと彼らを導いたことでしょう。

                                                                

今週は、苦しみの中に会っても賛美することを学びます。ヤコブの手紙の中で「苦しんでいる人は祈れ、喜んでいる人は賛美の歌を歌え」と勧められています。(ヤコブ5:13)喜ばしいことがあった時に、わたしたちは神さまの助けや導きを忘れがちです。だからこそ神さまは喜ばしいことがあったら賛美をするように勧めています。けれども苦しい時にも賛美ができるでしょうか。日曜日の学びで「賛美は信仰の行為」と教えています。それはまだ成就していなくても、神さまが最善のことをなさってくださっていると信じているからです。そしてそのような信仰が「私たちの思想と感情、そして状況をも形づくる」のです。どんな時でも賛美することは、わたしたちの信仰を成長させるものです。

今週の学びで感動したのは水曜日の学びの中で「もしパウロとシラスが、囚人たちが通常するように、 ぶつぶつ不平を訴えていたなら、この夜、だれが救われたでしょうか。」でした。わたしたちは、苦しい時に不平や不満を述べてしまいます。それも心をゆるしている人の前で。もちろんあなたの愛する人は、あなたの苦しみを受け入れて、ともに痛みを背負ってくれるかもしれません。けれどもそれはお互いを高めることではありません。

苦しい時でも神さまを賛美できるような信仰、それがほんとうに生きた信仰なのでしょうね。苦しい時にこそ、わたしたちが何にすがっているかが見えるのです。神さまは苦しい経験を通して、あなたを一歩ずつ成長させてくださいます。