安息日学校部

20220303安河内アキラ解説

2022年第3期「試練を共にされるキリスト」

PDFダウンロード

第3   鳥かご   7月16日

 

暗唱聖句  「それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが……。」 ペトロ 第一1:6

                                                                 

今週の聖句  出エジプト記 14 章、出エジプト記 15:22~27、出エジプト記 17:1~7、箴言 3 章、 ルカ 4:1~13、ペトロ第一 1:6~9

                                                                 

今週の研究  鳥を暗い場所に置くのは飼い主自身であることに注意してください。サタンが苦痛を引き起こすことを理解するのは簡単ですが、神ご自身も私たちを困惑や苦痛に満ちた試練の中に導くうえで、積極的な働きをなさるのでしょうか。

聖書の中に、神ご自身がその人が苦しむことを承知の上で、そのような経験へと人々を導かれる例がありますか。神はその人たちにどのような新しい歌を歌わせようとしておられたのでしょうか。

                                                                 

火曜日:誘惑が非常に手ごわいのは、それが私たちの本当に望むものに訴えかけ、常に私たちが最も弱い時に襲ってくるからです。

ルカ4章はイエスに対するサタンの誘惑の物語で始まり、非常に難しい問題へと私たちの注意を向けます。一読しただけでは、聖霊がイエスを誘惑へと導いたように思えます。しかし、神は決して私たちを誘惑されません(ヤコ1: 13)。むしろ、今まで学んだように、神は私たちを試みのるつぼへと導かれるのです。ルカ4章のポイントは、聖霊は、サタンのすさまじい誘惑にさらされるという試練の中に私たちを導き入れることができるということです。そのような試練の中で強い誘惑に遭うとき、私たちは神に正しく従っていないのではないかという誤った考えに陥りがちです。しかし、そのような考えは必ずしも正しくはありません。「困難な立場におかれると、われわれは神のみたまが導いておられるのだろうかと疑うことがたびたびある。だがサタンの試みを受けるためにイエスを荒野へみちびいたのは神のみたまであった。神がわれわれを試みに会わせられる時、神はわれわれの益のために達成すべきある目的を持っておられる。イエスは神の約束につけあがって自分から試みの中にとびこんだり、 あるいは試みがやってきた時落胆してあきらめたりされなかった。われわれも またそうでなければならない」(『希望への光』727ページ、『各時代の希望』上巻 142ページ)。

私たちは試練によって清められるどころか、時々やけどを負ってしまうことがあります。誘惑に翻弄されたとしても、イエスが堅く立たれたゆえに私たちも再び希望を持つことができると知ることは大きな慰めです。イエスが私たちの罪を負われたがゆえに、イエスが(それが何であれ)誘惑に負けた私たちの罪の代価を支払われたがゆえに、イエスがどのような人間も経験することのない もっとつらい試練を耐えられたがゆえに、私たちは神に見放され、捨てられることはありません。それが福音です。たとえ〔私が〕罪人の「最たる者」(1テモ1:15)であろうと、そこに希望があるのです。

                                                                 

水曜日:彼らの試練や苦しみが何であれ、キリストがおいでになるときに彼らを待っている永遠の命に比べれば、それがいったい何でしょう。彼らに対するペトロの言葉は、私たちが直面している試練が何であれ、私たちへの神の言葉です。 試練がどんなに苦しく困難なものであろうと、私たちは、私たちを最後に待っているものから目を離してはなりません。それは、痛みも苦しみも死もない新しい天と新しい地での永遠の命なのです。イエスの死によって保証されたこのような約束が与えられている私たちは、試練の中にあってなお信仰を失わず、 信仰の道を妨げるものはすべて、何であれ、主に取り除いていただくよう願い求める必要があります。

                                                                 

木曜日:主に従うほとんどすべての人が、主の導きを疑うような誘惑という危機を経験したことがあるはずです。そのような状況で重要なことは、主の約束にすがることです。過去の神の導きを思い起こし、信仰と忍耐を祈り求めることです。 主は決して私たちをお見捨てになりません。私たちが主を見限ろうとする誘惑に負けないためにはどうすればいいのかが重要です。

                                                                 

今週の学びは「鳥かご」というタイトルがついています。なぜ鳥かごなのでしょう。安息日の学びの本文の中で、言葉を覚えることができる鳥に言葉を覚えさせるために、何度もいっしょに言葉を語ったり歌ったりして、その後は鳥かごを覆って歌だけ聞こえる場所に置いておくと、鳥は言葉をしっかり覚えて、そしてその言葉は忘れないそうです。この暗闇に覆われる経験、これがわたしたちの苦しみと同じで、このような経験を通して成長できるのか今週の学びのタイトルなのです。

火曜の引用文の冒頭にありますが、「誘惑が非常に手ごわいのは、それが私たちの本当に望むものに訴えかけ、常に私たちが最も弱い時に襲ってくるからです。」とあります。わたしたちが元気で燃えている時には、何を言っても難しいのでサタンは、人をそのままにしておきます。けれども人生はいつも心が熱く燃えている時ばかりではありません。重荷に押しつぶされそうな時もあります。また良いことはわかっていても、気乗りはしない時などもあるかもしれません。サタンはわたしたちの様子をみて、最も効果的な時を選んで働きかけてきます。

木曜日の引用文の最後の言葉、「私たちが主を見限ろうとする誘惑に負けないためにはどうすればいいのかが重要です。」と書かれていますが、サタンは最終的にわたしたちが神さまを見限ってしまうことを選ぶように誘惑しています。苦しみや迷いの中にいる人に、サタンは否定を隠しながら近づき、神さまの真実を疑わせるように働きかけるのです。そして神さまはみことば通りにはなさらないだろうと、神さまのあわれみと愛に反する決断をさせようと導くのです。聖書の中には、多くの誘惑や試練の中でも、神さまに従い続けて勝利をした人の記録がたくさん書かれています。どんなことがあっても神さまは守ってくださるという信頼、そして背を向けてしまっても受け入れてくださるという深い愛、これが神さまのご品性であることを覚えて行きましょう。誘惑に負けてしまい、少しだけ忘れてしまう時があるかもしれません。そこに気づいた時に、勇気を出して神さまの元へ戻ってきてください。神さまはあなたを必ず迎え入れてくれます。