安息日学校部

20220213安河内アキラ解説

2022年第3期「試練を共にされるキリスト」

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第1   羊飼いの試練   7月2日

 

暗唱聖句  「(主は)魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。」詩編 23:3

                                                                  

今週の聖句  詩編 23 編、ローマ 12:18~21

                                                                  

今週の研究  あなたは順境の時と逆境の時と、どちらで霊的により成長してきましたか。

                                                                  

はじめに:今期、私たちは御言葉の学びを通して、そこに登場する生身の人間たちが、 信仰に生きながらも、絶望、裏切り、失望、喪失、不正、そして罵倒(このようなことにあなたも巻き込まれていませんか)にどのように直面したかを見ていきます。 彼らはこれらの試練にどのように対処したのでしょうか。そこから何を学んだのでしょうか。私たちは彼らの経験から何を学ぶことができるでしょうか。

これらの人々の経験、葛藤、そしてその信仰の試練に目を留めるとき、(それらは私たちも経験するものかもしれませんが)、私たちはそれらの試練を、常に十字架という背景に照らして見る必要があります。それがどのような試練であれ、私たちの創造主であり贖い主であるイエス・キリストは、さらに厳しい試練を経験さ れたことを常に覚えていなければなりません。

                                                                 

月曜日:その道はなぜ「正しい道」と呼ばれるのでしょうか。それは四つの重要な理由からです。第一に、その道は正しい目的地、すなわち羊飼いの家へと続く道 だからです。第二に、その道は正しいお方、すなわち羊飼いなる主との調和の中に私たちを入らせる道だからです。第三に、その道は私たちを正しい民、すなわち羊飼いなる主に似たものとなるよう訓練する道だからです。第四に、その道は私たちに正しい証し、すなわち私たちが正しい民になることによって主に栄光を帰す機会を与える道だからです。その道が歩きやすかろうと、歩きにくかろうと、それが「正しい」道なのです。

神が私たちを導かれるとは、単に目的地へ案内をすることではないことを理解しておくことが重要です。それは案内や守り以上のものだからです。聖書全体を通して見られる、神がその民を導かれた多くの例(アブラハムを約束によって導いた例、または火と雲の柱によってイスラエルを導いた例)のように、神が導かれるとき、そこには常に、民が正しくあるための訓練が伴うのです。

                                                                 

木曜日:谷がどれほど深く、敵がどのように執拗であっても、神の慈しみと変わることのない愛の確かさと、旅の終わりまで続く主の導きの約束は確かです。このような考えがカルバリーのイエスを支えたとすれば、私たちにも勇気が与えられます。

しかし、私たちが気にかけている人々が疑問に満たされるとき、そのような心配と対処する最善の方法は、神は何ができるかを神学的に解説することではなく、ダビデが詩編23:6で示したように、神の真理についての個人的確信を分かち合うことなのです。

                                                                 

第三期の学びは、試練を共にされるキリストです。わたしたちの人生において、次々に問題が多発します。それはクリスチャンであっても同じなのです。聖書の中には、そのような苦しみと戦った信仰者の記録でもあります。そしてその苦しみの中でキリストと出会った方もたくさんいるのです。そのようなことについて学んで行きます。

今週は詩篇23編について学びます。みなさんも暗唱されている聖句でしょう。わたしが今週、学ばされたのは月曜日の正しい道についてです。正しい道へ導かれたら、死の影の谷を歩むことになるのでしょうか。例えば目的地との間に、山の尾根があるとしましょう。最短距離を進むのならば峠越えが必要となります。迂回路が遠いとなったら、山坂や谷があっても、それが正しい道なのです。わたしたちの人生をすべてご覧になっている神さまから見れば、山坂を越えて行く道に導かれることもあります。そのあたりは今期の学びの中でもっと深く学ぶことでしょう。

木曜日の学びの中で書かれていますが、最後は神さまの深い愛をわたしたちは苦しい経験を通じて学ぶことができます。今まで何回も神さまに導かれて感謝をしましたが、いざ大きな問題が起きると、その前でもだえ苦しむことの繰り返しです。わたしは今、老人ホームの責任を負っています。老人ホームはご利用者の生活の場だからこそ、次々に問題が起こります。悩みながら祈っていると、問題解決の糸口を気づかされたり、必要な人が与えられたりすることの連続です。今期は、苦しみもがくわたしたちを愛して導いてくださる神さまについて、学んでいきましょう。