第11課 夢の達人ヨセフ 6月11日
暗唱聖句 「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。」 創世記 37: 19
今週の聖句 創世記 37 章、マタイ 20:26、27、使徒言行録 7:9、創世記 38 章、 創世記 40:1~41:36
今週の研究 私たちは、ヨセフの生涯を特徴づける二つの重要な神学的真理を学びます。 その一つ目は、神はその約束を成就されるということ。二つ目は、神は悪を善に変えることがおできになるということです。
今週、私たちはヨセフの生涯の初めの部分に焦点を当てます。
日曜日:当初から、ヨセフはヤコブが年老いてからの子であり(創37:3)、特に父のひいきの中で、「どの兄弟よりも……かわいが」られて(同37:4)育ちます。父のひいきは遂に、王子〔または王女〕が着る衣服であった(サム下13:18)「すその長い晴れ着」(創37:3、新改訳の注によれば「綾織りの着物」、英語新欽定訳では「色とりどりの着物」)を彼に作ってやるまでになります。それはラケルの最初の子であるヨセフを長子の地位にまで高めようとするヤコブの隠れた意図の表れでした。
実に、将来、このヤコブの望みは実現することになります。ヨセフは最終的に長子の権利を受けることになります(代上5:2)。ですから、この時、ヨセフの兄たちがどれほど彼を憎んだか、そして彼との平和的な話などできるはずもなかったことは疑いありません(創37:4)。
さらに悪いことに、ヨセフは兄たちの非難すべき行動を告げ口します(創37: 2)。告げ口が好きな者はいません。
そのようなわけで、神が彼を高い地位に置き、兄たちは彼の前にひれ伏すことになるという夢を話したとき、彼らはさらに彼を憎むようになったのです。 夢が繰り返されることで、それが預言的意味を持っていることが確認されるこ ともあります(創41:32参照)。ヤコブは、ヨセフをあからさまに叱ります(同 37:10)が、この出来事を心に留め、その意味について瞑想し、その成就の時を待ちます(同37:11)。ヤコブはおそらく、これらの夢には何か深い意味があるに違いないと考えたのでしょう。そして彼は正しかったのです。しかしながら、その時は、彼はまだその意味を十分に理解できませんでした。
火曜日:このあさましい物語の結末にペレツが誕生します。それはヤコブのように 「出し抜き」という意味であり、〔双子の〕二番目として宿ったのに初めに出てきます。そして彼はやがて、ダビデの父祖として救いの歴史に名を残すことになるのです(ルツ4:18~22)。タマルはと言えば、イエスの母マリヤ(マタ1:16)に至る系図の中で、ラハブ(同1:5)、ルツ(同1:5、6)、ウリヤの妻(同1: 6)へと続く4人の女性の1人となります。
この物語から学ぶことのできる教訓の一つは、神はその恵みによってタマルを救われたように、悪を善に変えられるということです。同じように、主は神の民をイエスの十字架によってお救いになります。そしてヨセフの場合、神は彼の身に起きた困難を変えて、ヤコブと彼の息子たちの救いとされるのです。
水曜日:ヨセフはこの時、私たちがみな経験したことのある経験をします。すなわち、神に見捨てられたと感じるような困難な状況にあってなお、「主が……共におられ」る経験です(創39:21)。
ついに、主が動かれます。主はヨセフが監守長の目にかなうように導かれます。彼の主人の家でと同じように、ここでも、主はヨセフを祝福されます。ヨセフは明らかに天分に恵まれた人ですが、このようなさらに悪い状況にあってなお(結局、彼は未だに奴隷なのですが)、彼はそこで最善を尽くします。彼の天分が何であれ、聖書は、最後には、彼の成功はただ神によってもたらされたものであると語ります。「監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである」(創39:23)。才能に恵まれたすべての人々、「成功した」すべての人々が、それらのすべてがどこから来たのかを覚えておくことほど重要なことはありません。
金曜日:ヨセフは、少年時代に、神を愛しおそれることを教えられた。シリヤの星空のもとに張られた天幕の中で、彼は父のヤコブから、ベテルの夜の異象、天と地の間にかけられたはしごやそれを上り降りしていた天使たちや天のみ座からご自身をヤコブに表わした神についての物語をきかされた。父がヤボクの河畔で格闘したあげく、心の中に宿っていた罪を絶ったときに勝利者となり、『神と共なる君』という称号をうけた物語もきかされた。
羊飼いの少年として、父の羊の群れの見張りをしていたヨセフの純朴な生活は、彼に体力と知力の発達をもたらした。ヨセフは、自然を通して神と交わり、 聖なる委託物として父から子へ伝えられたとうとい真理を学んで、堅実な精神と確固たる原則を身につけた。
ヨセフが、人生の危機に面したとき、すなわち子供時代をすごしたカナンのわが家から、奴隷の運命が待ちうけているエジプトへの恐ろしい旅の途中に、 肉親の住む天幕のかくれた山々を見納めたときに、かれは父ヤコブの神を心に覚えていた。少年時代の教訓を思い出し、真実な人間になって、どんなときにも天の王の臣下としてふさわしい行動をとらなければならないと決心したときに、彼の魂は感動した」(『教育』47~49ページ)。
今週からは創世記の最後の物語、ヨセフについて学びます。ヨセフが苦しみ抜いて、最後に大きな祝福を受けるこの物語は、子どものころから何回も聞いていて、とても好きでしたね。
この物語で神さまが語ろうとしているのは、「神は悪を善に変えることがおできになる」ことでした。そこで今週の学びにあるように、創世記37章でヨセフがエジプトに売られて行き、そのまま話しが続くのではなく、創世記38章でユダとタマルの物語が書かれています。火曜日の引用文にもありますが、この二つの物語は神さまが悪を善に変えることがおできになる力があることとして、ヨセフの物語の途中に書かれているのです。そしてヨセフが売られた後、家族と再会する途中に起こったできごとなのでしょう。
人類のあけぼのを見ると、ヨセフが成長するために奴隷や投獄という経験が必要だったと書かれています。きっと子どもの時、早くに母を亡くした彼を、ヤコブは寵愛したことでしょう。それが彼の品性に良い影響を与えてはいなかったのです。神さまはすべてを用いてくださいます。だからと言って、わたしたちは悪とわかっていることに進んで行ってはいけません。与えられた光に従って懸命に生きたからこそ、ヨセフは神さまから大きな祝福を与えられたのです。