安息日学校部

20220203安河内アキラ解説

2022年第2期「創世記」

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第3   カインと彼の遺産   4月16日

 

暗唱聖句
「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」創世記 4:7

                                           

今週の聖句
創世記 4 章、ヘブライ 11:4、ミカ 6:7、イザヤ 1:11、1 コリント 10:13、1 ヨハネ 3:12、創世記 5 章、創世記 6:1 ~ 5

                                           

今週の研究   アダムの追放後に最初に記されているのは、希望にあふれる長子の誕生です。エバはこれを、すでに聞いていたメシア預言の約束の成就であると考えました(創3:15)。つまり、彼女は生まれた長子が約束のメシアであるかもしれないと考えたのでした。続く出来事、すなわちカインの犯罪、レメクの犯罪、寿命の短縮、そして悪の増加はすべて創世記3章の呪いの成就です。

それでもなお、すべての希望が失われたのではありませんでした。

                                           

月曜日:アベルは神の教えに従って、動物の焼き尽くす献げ物に加えて野菜を献げました。カインはそれを怠りました。彼は犠牲となるべき動物を持ってくることをせず、「土の実り」だけを献げました。それは公然な不服従の行為であり、弟の態度とは対照的でした。この物語はしばしば、信仰による救い(アベルと彼の血の献げ物)と、それとは対照をなす、行いによって救いを得ようとする試み(カインと彼の土の実り)の典型と見なされてきました。

これらの献げ物が霊的な意味を持っていることは確かですが、献げ物自体に何か不思議な価値があるわけではありません。それらは、罪人を養ってくださるだけでなく、贖いまでも与えてくださる神を指し示す象徴や型でしかありませんでした。

                                           

火曜日:創世記4:6にある神の二つの問いは、カインの二つの状態と関連しています。神はカインを責めておられないことに注意してください。アダムのときと同じように、神は問いかけます。神が答えをご存知でないからではなく、カインが自分を見つめ、自分がどうしてそのような状態にいるのかを理解させようとされたのでした。神は、堕落した民が公然と神の信頼を裏切るときでさえ、いつも贖おうとするのです。これらの問いかけの後に、神はカインを諭します。

まず神はカインに、「正しい」ことをするよう促します。この助言は、悔い改め、態度を改めるようにとの招きです。神は、カインが「受け入れられ」、赦されると約束しました。彼が神に受け入れられると言われるとき、それをお決めになるのは神であってカインではありません。

一方、「正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」(創4:7)との神の言葉は、罪の根源を示すものであり、それはカイン自身の中にあるのでした。ここでも神はカインに助言し、再び彼に行くべき道を示そうとされます。

神の二つ目の助言は、この罪に対して取るべき態度についてでした。「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める」のでした。神は「お前はそれを支配せねばならない」と言われ、彼に自制をお求めになります。

                                           

水曜日:カインに対する問いは、エデンでのアダムに対する「あなたはどこにいるのか」との問いを思い起こさせます。それはエデンの罪とカインの罪との間に関連があるからです。後者の(カインの)罪は、前者の(アダムの)罪の結果なのです。

けれども、カインは自分の罪を認めようとせず、それを否定します。アダムは自分の罪を他者に転嫁しようとはしましたが、否定はしませんでした。対照的に、カインは公然と神に反抗し、神はすぐにカインに罪を突きつけます。神が三度目の質問として「あなたは何をしたのです」(創4:10、口語訳)と彼に問われたとき、主はカインの答えを待ちませんでした。主は彼に、主はすべてをご存知であること、そしてアベルの血の声が地から主の耳に届いていると告げます。それは、神は殺人者がだれかを知っておられ、その死に報いることを意味する比喩でした。死んで土の中にいるアベルは、まさに人類の堕落の結果であり、主がアダムに言われた言葉を思い起こさせるものでした(同3:19)。

                                           

今週は、創世記4章から6章の冒頭まで学びます。今週の学びは最初の殺人事件から始まります。メシアかと思っていた息子が殺人者となってしまったのです。神さまはカインに語りかけています。そして彼らは子どもの時から、きっとエデンの園入り口から見ていたでしょう。それでもなお、このような結末になってしまいました。この物語は、様々なことを教えています。罪の原因になったのは不服従と高慢でした。

水曜日の引用文に、主がすべてをご存知であるとあります。ウクライナで起こっている悲しいできごと、お互いに相手を非難していますが、神さまだけが真実をご存知です。これは罪を隠そうとするわたしたちにとっても同じではないでしょうか。

創世記の始まりには、詳しく書かれていないがゆえの謎があります。カインの妻は誰だったのでしょう。神の子が人の娘を結婚。ネピリムなどです。ここから先は推理になりますが、アダムの子孫とカインの子孫は、同居はしていなかったにせよ、それなりに近くにいたのではないでしょうか。カインの妻はアダムの娘の誰かなのでしょうね。神の子はアダムに子孫、人の娘はカインの子孫、ネピリムは巨人ですね。(民数記13:13参照)  ノアの洪水までの人間は体格が大きく、それが徐々に小さくなったけれども、時々まだ血を受け継ぐものがいて、民数記の記録やゴリアテなどが産まれて来ていたのではないでしょうか。

最後に創世記5章の系図は、特殊な書き方をしています。足し算をすると創造からノアの洪水までが2400年くらいとわかります。そして11章の系図でアブラハムまで、そしてエジプトでの430年(出エジプト記12:40参照)、ソロモンの神殿建設開始が出エジプトから480年(列上6:1)を加えて、ソロモンの即位が紀元前971年なので、約3000年前になり、創造から今日まで約6000年と聖書は語っています。