第8課 新しい契約の仲介者イエス 2月19日
暗唱聖句 「しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。」 ヘブライ人への手紙 8:6
今週の聖句 ヘブライ 7:11~19、ヘブライ 8:10~12、エレミヤ 31:31~34、ヘブライ 8:1~6、出エジプト記 24:1~8、エゼキエル 36:26、27
今週の研究 完全な人生を生き、そして私たちのために死ぬことによって、イエスは私たちと神との間の、新しい、更にまさった契約の仲介者となられました。その死を通してイエスは、私たちのとがが求める死という刑罰を無効にし、新しい契約を可能にされました。
この真理はヘブライ10:5~10に説明されており、契約の要求に完全に従った方としてイエスを示しています。
パウロにとって、この詩編はイエスの受肉について特別な意味を持っていました。イエスは新しい契約への服従を体現されました。彼は私たちの模範です。 私たちが救われたのは、彼の死によるだけでなく、彼の完全な服従にもよるのです。
月曜日:ヘブライ人への手紙の新しい契約の約束は、エレミヤ記にさかのぼります。エレミヤによれば、神の新しい契約の約束は、事実、神が最初にモーセを通してイスラエルと結ばれた契約の更新でした(エレ31:31~34)。ですから、エレミヤ31章のそれは、厳密に言えば「新しい」契約ではなく、初めにイスラエルと結んだ契約の「更新」であったと言えます。事実、ここで用いられている 「新しい」を意味するヘブライ語の「ハダシャー」には、「更新された」と「真新しい」の両方の意味があります。
古い契約の問題は、民がそれを破ったことでした(ヘブ8:8、9)。契約が間違っていたのではなく、民が間違っていたのです。もしイスラエルが、メシア到来のしるしを見極め、彼らの信仰を来るべきメシアに置いていたなら、契約は破られなかったでしょう。実際に、イスラエルの歴史においても多くの信じる者たちがいて、彼らを通して契約は成就され、彼らは心に書き記された律法を持っていました(詩編37:31、40:9〔口語訳40:8〕、119:11、イザ51:7)。
この新しい契約は、古い契約の更新されたものでありながら、実は新しい契約です。エレミヤが約束した「新しい契約」は、単に捕囚前の状態を更新することを想定したものではありませんでした。この契約は、民が何度も背教に陥ったために、何度も破棄と更新が繰り返されてきました。それは単に民が神との契約を守る気がなかったからです(エレ13:23)。
火曜日:ギリシア語の「メシテース」(仲介者)という語は「メソス」(中間)という語に由来し、中間に立つ人を意味します。この専門用語は、次のような役割の一つかそれ以上を担う人を指しています。(1)二つあるいはそれ以上の関係者の間の調停者、(2)交渉人または商売上の仲介人(業者)、(3)法的な意味での証人、(4)連帯保証人として契約の履行を保証する者。
英語訳聖書に用いられている「メディエーター」(仲介者)の意味は、上記の初めの二つ、あるいは三つの意味しかありませんので、この手紙が用いている ギリシア語の「メシテース」の訳語としては不十分です。ヘブライ人への手紙 は上記の四番目の役割を強調しています。父なる神と人類の争いを解決する者、対立する当事者同士を和解させて平和を実現する者、または契約の存在と内容が申し分ないことを証明する者であるという意味で、イエスを「仲介者」と 言っているわけではありません。ヘブライ人への手紙は、イエスが新しい契約の「保証人」(あるいは連帯保証人)であると見なしているのです(ヘブ7:22)。ヘブライ人への手紙では、「仲介人」を「保証人」と同等に見なしています。 イエスは契約の約束の成就を「保証」しているのです。
木曜日:ここでエレミヤは律法の変更を告げてはいません。なぜならイスラエルの問題は、律法ではなく彼らの心にあったからです。神は、イスラエルの信仰が、神がまず彼らのためにされたことに対する感謝の応答であることを望んでおられました。そのために、神は救済の歴史の序章と共に十戒を与え(出20:1、2)、彼らに対する愛と配慮を示しました。神がイスラエルにとっての最善を望んでおられることを彼らが認めて、律法に従ってほしいということが、神の望みでした。大いなるエジプトからの救出に現わされた真理を知ることによって、神の律法に従うことを望まれました。彼らの服従は彼らの感謝の表れ、彼らの神との真実な関係の表明であるべきでした。
同様に、今日の私たちにとっても、私たちのために死んでくださったイエスの愛と慈しみは、新しい契約の序章です(ルカ22:20)。真の服従は愛の表現として心から湧き出てきます(マタ22:34~40)。この愛は、信じる者の生活に聖霊が臨在されることの証拠です。神は聖霊を通して私たちの心に愛を注がれ (ロマ5:5)、聖霊は愛という実を実らせます(ガラ5:22)。
先週わたしたちはイエスさまが契約の保証であると学びました。それは契約の中で、神さまがなさってくださる、罪の赦しと永遠の天国を与えてくださるという約束を成就する力があるからこそ、イエスさまの存在そのものが、契約のたしかなものである保証だったのです。そのイエスさまが仲介者となってくださったというのが、今週の学びです。
そもそもなぜ仲介者が必要だったのでしょうか。それは人類が何回も契約を破ってきたからなのです。契約は提供者がいても、それを契約して受ける人がいなければ成立しません。神さまは罪の赦しと天国を与えてくださると約束され、そのためにキリストが十字架に架かってわたしたちの罪の身代わりにもなってくださいました。わたしたちはそれを感謝して従って行くことで契約は成立するのです。けれども多くの人類は、悪魔の誘惑に負けて、別のものを主としてしまったのです。そうなってしまった以上、だれかが神さまと人との間にたって、仲介をする必要がありました。その働きをできるのは、神さまであり人として歩まれたイエスさましかなかったのです。
火曜日の学びで「ヘブライ人への手紙では、「仲介人」を「保証人」と同等に見なしています。 イエスは契約の約束の成就を「保証」しているのです。」と書かれています。イエスさまは保証するだけでなく、わたしたちが契約を結べるように仲介の働きをしてくださっています。わたしたちの神さまは、わたしを救うために、そこまでして働いてくださっているのです。