第6課 忠実な祭司イエス 2月25日
暗唱聖句
「このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです」
ヘブライ人への手紙 7:26
今週の聖句
ヘブライ 5:1~10、創世記 14:18~20、1 ペトロ 2:9、
ヘブライ 7:1~3、 ヘブライ 7:11~16、22、26
今週の研究
今週私たちは、その驚くべき御業について学びます。ヘブライ5章から7章は、イエスの祭司としての働きを注意深く分析しています。手紙の著者は、イエスの祭司職の起源と目的を分析し(ヘブ5:1~10)、その後、読者〔信者〕たちに、このイエスの働きを忘れることがないように勧告し(同5:11~6:8)、更に祭司イエスが与える希望の確証に堅く立つよう勧めます(同6:9~20)。彼はまた、イエスの祭司職の特徴を説明し(同7:1~10)、それを神と信者との関係に当てはめます (同7:11~28)。今週は、ヘブライ5:1~10と7:1~28に焦点を当てて学んで行きます。
日曜日:基本的な祭司の役目は、罪の内にある人々と神の間の仲保です。祭司は、人類を代表して奉仕するために神によって任命されたので、人類の弱さを理解し、憐み深くある必要がありました。
ヘブライ5:5~10でパウロは、イエスがこの目的を完全に満たしていたこと を示しています。すなわち、神がイエスを祭司に任命し(同5:5、6)、イエスは苦しまれたゆえに、私たちを理解してくださいます(同5:7、8)。
しかし、そこにはいくつかの重要な違いがあります。イエスは「人間の中から選ばれ」(ヘブ5:1)たのではありません。そうではなく、私たちのために祭司として奉仕するために、神であったのに人性を取られたのです。イエスはご自身の罪のために犠牲をささげたのではなく、私たちの罪のためだけにささげました(同5:3)。なぜなら、彼は罪のないお方だったからです。(同4:15、7:26 ~28)
月曜日:ヘブライ人への手紙は、メルキゼデクの誕生、死、系図について聖書が何も語っていないことを利用し、メルキゼデクをイエスの祭司としての働き(創世記14:18 ~ 20)と、イエス自身が永遠であるとう事実の予型、象徴としています。結論として言えることは、メルキゼデクは、キリストの型として働いたカナン人の王であり祭司であったということです。「メルキゼデクを通して語られたのは、至高者なる神の祭司であるキリストで あった。メルキゼデクはキリストではなかったが、彼は世にあっては神の声であり、天父の代表者であった。過去のすべての世代を通じてキリストはお語りになったのである。すなわち、キリストは彼の民を導き、世の光であられたのである」(『セレクテッド・メッセージ』第1巻409ページ、英文)。
水曜日:イエスは新しい契約の連帯保証人です。なぜなら神は、イエスが「永遠に 祭司である」(ヘブ7:21)と誓われたからです。この誓いの重要性は、誤って理解されやすいものです。パウロはすでに神が荒れ野世代とアブラハムにされた誓いについて述べていますが(同3:7~11、6:13~15)、彼らにされた誓いと、御子にされた誓いとの違いは、彼らにされた誓いは死ぬべき人間と交わされた 誓いであったということです。誓いは受益者が生存している間のみ効力を持つものですから、神が荒れ野世代とアブラハムにされた誓いは、彼らが生きている間のみ有効なものでした。
しかしながら、神と「朽ちることのない命」をお持ちである御子との誓いは、永遠に効力を持つのです。人が連帯保証人になるということは、死を含めて保 証する人物と同じ罰を受ける覚悟をすることを意味します。だからこそ、父なる神は、私たちのために、約束を必ず守る保証人であるイエスをお立てになったのです。このように、イエスにあって私たちに与えられている救いは、確実で信ずるに値するのです。
今週は、ヘブライ5章と7章から、イエスさまは祭司であることについて学びます。ヘブライ人への手紙の主要なテーマのひとつは、天に聖所があり、イエスさまが真の大祭司であることを教えています。日曜日の学びに書かれていますが、イエスさまは祭司として人類の弱さを理解するために、人となってくださったのでした。それはご自身のためではなく、わたしたちすべての人類のためでした。
聖書研究ガイドの本文の水曜日と木曜日には、祭司としての働きについて具体的に書かれています。まず新しい契約の保証人です。神さまとの契約は永遠に続くものです。それはイエスさまがわたしたちの身代わりとなって罪を背負っていただいたからこそ、わたしたちが受けることができる恵みなのです。この保証人としての働きは彼しかできません。
そしてイエスさまは聖であり、汚れなく、罪人から離されました。イエスさまのご生涯、それは罪の無い完全な生き方でした。けれども自分の姿を見ると、とても自分の力で清くなることは不可能なことがわかります。イエスさまのご生涯を見ることで、わたしたちは十字架にすがるしか救いがないことを知らされます。
最後にイエスさまはもろもろの天より高くされとあります。十字架に架かる前夜、二階座敷での説教の最後に、イエスさまはすべてものに勝利されたと宣言されました。もちろん十字架に架かれて復活されることによって勝利をされるのですが、聖書は時としてこれから起こることを完了形で書くことがあります。それは神さまの約束が確かなしるしだからです。イエスさまが天の聖所で大祭司として働かれている、それはすべてに勝利されたからこと、わたしたちの罪を贖うために働くことができるのです。