第5課 安息の与え主イエス 1月29日
暗唱聖句
「それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。」
ヘブライ人への手紙 4:9
今週の聖句
創世記 15:13~21、ヘブライ 3:12~19、ヘブライ 4:6~11、
ヘブライ 4:1、3、5、10、申命記 5:12~15、ヘブライ 4:8~11
今週の研究 私たちは安息日を守るとき、神は、天地創造によって、そして十字架上での贖いによって、私たち人類の必要に完全に応えてくださったことを覚えるのです。しかしながら、真の安息日遵守は、覚えること以上の行為です。それは、この不完全な世界にあって、神が約束しておられる未来を前もって味わうことなのです。
火曜日:荒れ野世代が約束の地を目前に失敗しても、神はなおその民に働かれました。神は彼らの不信の後も、なおも忠実でした(2テモ2:13)。だからこそ、パウロは何度も神の約束は「残されている」と繰り返すのです(ヘブ4:1、6、9)。ここで彼が、約束は「残されている」と言うとき、「残す」「放っておく」という 意味のギリシア語の動詞を用いています。つまり約束が取り残されていたこと、無視されていたことを意味します。安息に入るようにとの招きが、ダビデの時代にも繰り返されている事実からも(同4:6、7、詩編95参照)、その約束は果たされないままで、まだ有効であったことがわかります。事実、パウロは、安息 は天地創造の時からずっと有効であると述べています(同4:3、4)
同様に、「今日」は、私たちにも決心を迫っています。いつの時代でも神の民が直面してきたように、チャンスの時は同時に、危険な時でもあるのです。
ヘブライ人への手紙に出てくる「今日」という概念は、神の約束が成就される時代を示しています。神はこの時代を、「わたしは今日、あなたを産んだ」との宣言をもって開始されました(ヘブ1:5)。それは神の約束の成就である、王 としてのイエスの即位を意味します(サム下7:8~16)。こうして、イエスの即位は、私たちのための祝福とチャンスとなるべき新しい時代の幕開けをもたらしました。
水曜日:神が私たちに約束しておられる最終的な「安息」とは、大争闘が終結した後に私たちのために神が創造される新しい世界です。ヘブライ人への手紙は、これを「神が設計者であり建設者である……都」(ヘブ11:10)、そして「天の故郷」(ヘブ11:14~16)と呼んでいます。それは、神が創造当初に人類に与えられた主権と「栄光と栄誉」の回復を意味します(ヘブ2:5~8、12:28)。それが「神の」安息なのです。それは私たちが平和に生きることができる完全な地であるだけでなく、新しい天と新しい地にある神の御座における安息日の休みをも意味しています。
木曜日:すでに学んだように、出エジプト記と申命記は私たちの目を過去に向け、神の創造と贖いの完成を祝うために安息日を休むように勧めています。一方、ヘブライ4:9~11は、私たちの目を未来に向け、神が将来の安息日の休みを準備していることを教えています。ここに安息日遵守の新しい次元が示されています。すなわち、安息日は、過去の神の勝利を記念するだけでなく、神の未来の約束をも祝うのです。この安息日遵守の未来の次元は常に示されていたのですが、しばしば無視されてきました。人類の堕落の後、それは神がいつの日かメシアを通して創造当初の栄光を回復されることを意味するようになりました。神は私たちに安息日遵守を通して神の贖いの業を祝うようにお命じになりますが、それは安息日が贖いの頂点である未来の新しい創造を指し示すものだからです。安息日遵守は、この不完全な世界にあって天国を先取りすることなのです。
今週の学びは、忠実な兄弟であるイエスさまです。人間として歩んでくださったイエスさまが罪や試練に勝利されたのは、神さまとの関係において忠実だったからではないでしょうか。わたしたちは彼の模範から、神さまがわたしたちに示されている完全について学んで行かねばなりません。今週は、ほんとうの安息について学びます。わたしは先週の安息日、三育学院中学校の礼拝説教をさせていただきました。安息日学校の時間には大学教会の教課研究に参加しました。講師は三育学院大学の東出学長で、先生は「ヘブライ人への手紙を学ぶ時に、『めぐみの王国』と『栄光の王国』のちがいを理解しておかないと正しく読むことができない」と教えてくださいました。くわしくは各時代の大争闘下巻41ページをお読みになってください。
めぐみの王国、それは人類が罪を犯した時に、すぐにアダムとエバに約束されて、そして旧約聖書の中でくりかえし到来が約束されていました。けれどもこの時点では、まだ到来していませんでした。イエスキリストが罪に勝利されることによって、地上はめぐみの王国となったのです。わたしたちは、この地上では悩みがあります。けれども天を見上げて、神さまに信頼する時に、そこが天国となるのです。神さまとともにいてくださることを信じる時に、状況は同じでも平安になることができます。
栄光の王国、それはキリストの再臨のあとに天国に迎え入れられて、罪に勝利した時に与えられるのです。そこにはほんとうの平安と安らぎがあります。
わたしたちは安息日を覚える時に、いのちをあたえてくださる神さまに感謝をします。同時にまことに平安が与えられる、栄光の王国を与えてくださる神さまのことも覚えるのです。