第2課 ヘブライ人への手紙のメッセージ 1月8日
暗唱聖句
「今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き……。」 ヘブライ人への手紙 8:1
今週の聖句
ヘブライ 1:5~14、ルカ 1:30~33、詩編 132:1~5、ヘブライ 2:14~16、 ヘブライ 5:1~4、1 ペトロ 2:9、ヘブライ 8:8~12
今週の研究
ヘブライ人への手紙の読者たちも、おそらく似た思いを抱いたことでしょう。 彼らが神の子なら、なぜこのような苦しみに遭うのでしょうか。
パウロは試練のただ中にある信者たちの信仰を強めるために、ヘブライ人への手紙を書いたのです。彼は、彼らに(そして私たちに)、父なる神の右の座に着き、そして私たちを天の家郷にまもなく連れて行ってくださるイエスによって、神の約束が実現することを思い起こさせました。それまでの間は、イエスが父なる神の祝福を執り成してくださいます。ですから、私たちは、終わりの時まで私たちの信仰を堅く守る必要があるのです。
日曜日:ヘブライ人への手紙の主要なテーマは、イエスが父なる神の右の座に着かれる統治者であるということです(ヘブ8:1)。神であるイエスは、常に全宇宙の統治者でした。しかし、アダムとエバが罪を犯して以来、サタンがこの世の支配者になりました(ヨハ12:31、14:30、16:11)。しかしながら、イエスがおいでになり、十字架でサタンの支配を撃ち破り、イエスを受け入れる人々の救い主として、彼らを治める権利を回復されたのです(コロ2:13~15)。
ヘブライ人への手紙の最初の2章は、特に王なるイエスに焦点を当てています。
これらの聖句(ヘブライ1:5~14)は三つに分けることができ、各部分は御子の即位式の様子を描いています。第一に、神は御子を王子としてお受け入れになります(ヘブ1:5)。 第二に、神は御子を礼拝すべき方として天の宮廷に紹介し(同1:6、8)、御子による永遠の統治を宣言されます(同1:8~12)。第三に、神は御子を御座に着かせ、権威を授与されます(同1:13、14)
水曜日:ヘブライ5~7章はイエスの第二の働きを紹介しています。それは、彼が私たちの大祭司であることです。著者は、このことが、ダビデの子孫の王に神がされた約束の成就であって、彼が「あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司」(詩編110:4、ヘブ5:5、6)となると説明しています。
祭司は人類のために任命され、人類を代表して、神や神に関するものとの関係を仲保します。このことは、ユダヤ人、ギリシア人、ローマ人など、その他のどの聖職者制度においてもあてはまります。
祭司は私たち人類が神と交わることを可能にし、祭司の職務のすべては、人類と神との関係を円滑にするためのものです。
祭司は人類のために犠牲を献げます。人々は犠牲を直接神に持って行くことはできません。どうすれば「受け入れられる」犠牲をささげることができるか を祭司が知っているので、私たちの献げ物は神に受け入れられ、それによって清めや赦しが与えられるのです。
祭司はまた、人々に神の律法を教えます。彼らは神の戒めの専門家であり、戒めを説明し適用しました。
最後に、祭司はヤハウェの名によって祝福する責任を負っていました。彼らを通して神は、人々に対する神の善意と憐れみ深い目的を表されるのでした。
木曜日:ヘブライ8~10章は、イエスの新しい契約の仲保者としての働きに焦点を当てます。古い契約はただ、来たるべき更にまさるものの影にすぎませんでした。 祭司制度は、イエスが将来になさることを予表するためのものでした。祭司たちは、イエスを象徴していましたが、彼らは死ぬべき罪人でした。彼らはイエスが与える完全を提供することはできませんでしたが、「天にあるものの写しであり影」(ヘブ8:5)である聖所で仕えました。
イエスは真の聖所で奉仕され、私たちに神への道を開きます。動物の犠牲は人類のための犠牲としてのイエスを予表しましたが、その血は人の良心を清めることはできませんでした。しかし、イエスの死は私たちの良心を清めることができるので、私たちは大胆に神に近づくことができるのです(ヘブ10:19~ 22)。
金曜日:ヘブライ人への手紙は、すべての良いものと希望に満ちているにもかかわらず、そのクライマックスに近づく10~12章には一連の勧告が記されています。この最後の部分には少なくとも二つの共通の要素があります。 第一は、荒れ野世代をこのヘブライ人への手紙の読者と対比していることであり、二番目は私たちに信仰を持つよう勧告していることです。
パウロは、私たちも荒れ野世代のように、約束の地を前にしていると言います(ヘブ10:37~39)。しかしながら、私たちの特権と責任は更に大きいのです。 私たちはシナイ山で神の声を聞いてはいませんが、もっとすばらしいシオンの山におられる神を、聖書を通して見ています。すなわち、受肉された神イエス・ キリストです(同12:18~24)。問題は、私たちが信仰を持っているか否かです。 ヘブライ人への手紙の著者は、イエスご自身の内にある偉大な品性の模範に倣うよう私たちに勧めています。
先週はヘブライ人の手紙が書かれた、ヘブライ人の当時の状況について学びました。彼らは多くの困難と戦っていました。
今週はヘブライ人の手紙の内容を概観します。日曜日の学びで、まず最初に王として統治者としてのキリストについて書かれています。彼が王になることは、預言の成就でもあるのです。この王は、地上の支配者として自ら考えていた悪魔と戦い、勝利をされて天へ帰り王となったのでした。
水曜日の学びでは、ヘブライ人への手紙のもう一つの大きな主題である大祭司としてのキリストについて書かれています。地上の聖所は天の聖所のひながたです。天では地上と同じように大祭司が、すべての罪を贖うために働かれています。ヘブライ人への手紙では、大祭司としてわたしたちの罪を背負い、神さまとの仲保者として働かれているキリストについて教えています。天における聖所について一番はっきりと教えているのはヘブライ人への手紙です。
今期の学びは来週から、それぞれの主題をあげて、ヘブライ人への手紙を学んで行きます。