第11課 後の書巻に見る申命記 12月11日
暗唱聖句 「そうであるのに、主はただあなたの先祖たちを喜び愛し、その後の子孫であるあなたがたを万民のうちから選ばれた。今日見る通りである。」 申命記10:15
今週の聖句 列王記下22章、ネヘミヤ記9:6、エレミヤ7:1~7,詩篇148:4、エレミヤ29:13、ミカ6:1~8、ダニエル9:1~19
今週の研究 後の旧約聖書の著者たち、たとえば預言者たちは、初期のイスラエル人たちの契約生活の中で中心的役割を果たしていた申命記から何度も引用しています。 今週、私たちは、申命記のどの部分が後の旧約聖書に引用されているかを学び、 さらにそれらの引用が今日の私たちに対してどのような意味を持つかを考えます。
火曜日:申命記の中で、モーセは何度も何度も、彼らのカナンの地での存在は条件的なものであることを強調しています。彼らが従わないなら、神が彼らのために選ばれた地にとどまることはできないのでした。エレミヤ7:4の警告を見てください。神殿は主のものであり、彼らは選ばれた民でしたが、彼らが従わないなら、それらの特権には何の効力もないという意味が含まれています。 そしてそれらの服従には、彼らが寄留者、孤児、寡婦たちをどのように扱うか、すなわち、彼らが従うよう申命記に記された規定と義務が含まれていました。「寄留者や孤児の権利をゆがめてはならない。寡婦の着物を質に取ってはならない」(申24:17、同24:21、10:18、19、27:19も参照)。
水曜日:預言者たちが書き残した多くの部分は、忠実であるようにという呼びかけです。それは一般的な忠実さではなく、約束の地を前に再確認された神との契約における彼らの側の忠実さです。それこそが、申命記に描かれている、神がイスラ エルと再び結ばれた契約なのです。神は、40年の回り道を経て、今、その契約の約束の多くを成就しようとして(あるいは、成就し始めて)おられました。そのようなわけで、モーセは、契約における自分たちの最後の部分を果たすように民を諭したのです。預言者たちが書いた物の多くが基本的に同じ内容でした。
木曜日:ダニエルの祈りは、申命記にすでに警告されていたこと、すなわち神との契約の彼らの分を果たさないことの結果をまさに要約したものです。ダニエルは「モーセの律法」に二度言及しています(ダニ9:11、13)。それには確かに申命記が含まれており、ここでは具体的に申命記を指していたのかもしれません。
申命記が記していたように、彼らはモーセが勧告していたことに従わなかったために、約束の地から追われることになったのです(申4:27~31、同28章)。
さらに悲しむべきことに、彼らは「この大いなる民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言われる代わりに(申4:6)、イスラエルはそれらの諸国民から「嘲られ」たのでした(ダニ9:16)。
ダニエルの涙の嘆願の中で、彼は、多くの人々が災いに遭ったときに尋ねる問いを一度も口にしていません。彼は「なぜ」とは問いませんでした。それは申命記を読んでいた彼は、なぜこれらのことが起こったのかを理解していたからでした。言い換えれば、申命記は、ダニエル(そして、ほかの捕囚の者たち)に、彼らに臨んだ災いが意味も目的もない運命や偶然によるものではなく、彼らの不服従の結果であり、まさに彼らが警告されていたことなのだということを教えたのです。
しかし、おそらくもっと重要なことは、ダニエルの祈りは現実に目を向けながらもなお希望を語っていることです。神は彼らを見捨てられたのではありませんでした。申命記は彼らの悲しい現実だけでなく、回復の希望をも示していたのです。
今週と来週は、申命記があとに続く聖書の書巻に、今週は旧約聖書、そして来週は新約聖書の中にどのように引用されているか学びます。
火曜日の引用文に書かれていますが、申命記においては神さまからの恵みや約束はしっかり示されたので、従うものには祝福を、そして従わなかったものには気づいて立ち返るように警告や患難が与えられることが預言されています。そして旧約聖書に記録されているその後の歴史は、神さまに従った時には祝福を受けていますが、背を向けた時には国が乱れ外国から侵略を受けて南北の王国は滅亡に至るのでした。申命記で書かれていることが成就した記録でもあるのです。
水曜日の引用文にあるように、わたしたちに求められているのは忠実に、この言葉に従って行くことです。この原則は旧約聖書の時代だけでなく、今日も変わらないのです。
木曜日の引用文でダニエル9章の祈りについて学びます。ダニエルは、自分たちが捕囚としてバビロンで暮すようになってしまった原因はわかっていました。神さまが預言者たちをくりかえして送り、何度も語られたのにも関わらず、その声を拒んでしまった結果なのです。他の教会ではダニエル書はもっと後の時代に書かれたと教えていることもありますが、この祈りを見る限り、バビロンが滅んでメドペルシャが支配をし始めている、この時代にいるダニエルだからこその祈りではないでしょうか。
彼が祈りを終えると、すぐに天使ガブリエルが近づいて、希望のメッセージを与えます。申命記でも、その場所から悔い改めるならば神さまは迎えてくださり希望の約束に変わるのです。この希望の約束についても今日も変わることはありません。神さまは、どんな状況であっても、立ち返ろうと願う人を必ず迎えてくださいます。