安息日学校部

20210409安河内アキラ解説

2021年第4期「申命記に見る現代の心理」

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第9    彼らの心を変え    11月27日

 

暗唱聖句
「しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。
心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。」
申命記 4:29

                                           

今週の聖句
申命記 5:22~29、申命記 4:25~31、申命記 30:1~10、
マタイ 3:1~8、 マルコ 1:15、使徒言行録 2:37、38

                                           

今週の研究   「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ロマ3:24)。この大いなる知らせの非常に重要な点は悔い改めにあります。悔い改めとは、自分の罪を知り、罪を悲しみ、神に罪の赦しを願い求め、最終的にその罪から離れ ることです。私たちは罪深い存在ですから、悔い改めは私たちのクリスチャン 経験の核心とも言える思想です。今週私たちは、申命記に示されている悔い改めについて学びます。

                                           

月曜日:神の恵みは驚くべきものです。彼らがいまわしい偶像礼拝の罪に堕ち、その罪の恐ろしい結果を身に受けた後でさえ、主に立ち帰るなら主は彼らを赦し、回復されるのです。要するに、彼らが正直に悔い改めるなら、主は彼らの悔い改めを受け入れてくださいます。申命記4:30のみ言葉は、しばしば〔英語訳聖書では〕「向きを変える」(turn)と訳されますが、正確には「帰る」(return)ことを意味します。つまり、彼らが常にいるべきであった場所、主のもとへ帰るということです。「立ち帰る」と同じ語根を持つヘブライ語の「テシュヴァ」には、「悔い改める」という意味があります。ですから、悔い改めの本質は、罪によって引き離されていた 私たちが、神のもとに立ち帰ることなのです。

                                           

火曜日:申命記を通して鍵となるテーマは、主に従って祝福を受けよ。従わないならあなたはその結果に苦しむであろう、とのメッセージです。このテーマは新約聖書においても変わりません。「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります」(ガラ6:7、8)。

不幸にして、少なくとも人類の堕落以降、罪は、人間にとって息をすることのように簡単で自然なことになりました。そして、「わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない」(申30:11) という神の警告と約束にもかかわらず、多くの人々は、神が彼らに警告された通りのことを行い、罪に堕ちたのです。

しかしなおも、その後でさえ神は、彼らが自由意志を用いて悔い改め、神に立ち帰ることを選ぶなら、喜んで彼らを連れ戻そうと待っておられるのです。

                                           

木曜日:ある聖書学者たちは、新約聖書の中には申命記の悔い改めの思想が繰り返されていると考えます。たとえば、ペトロがイエスを十字架につけたユダヤ民族を叱責したとき、「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った」(使徒2:37)とあります。彼らは罪を自覚し、それらを悲しみ(「心を打たれ」)、 彼らが逆らってきた神に対して正しくあるために何をすべきか知りたがったのです。

これは、神に敵対してきた罪人である私たちすべてが置かれている状況と全く同じではないでしょうか。

                                           

今週の暗唱聖句は、「その所から主を尋ね求めるように」と教えています。そのところとはどこでしょう。それはまちがいに気づいた場所です。そして気づいた時なのです。申命記には「今日」という言葉が多いことを以前書きました。気づいた時に、明日からではなく、今から改心をしなければなりません。一晩ゆっくり考えて、やはりやめた! などとならないようにしなければなりません。そして気づいた場所です。神さまは気づくように、いろいろな苦しみをも与えると書かれています。そしてどん底に落ちて、まさに放蕩息子が豚のえさを食べている時に気づくわけです。そうしたら彼はすぐにお父さんの所へ帰ることを選びました。状況が好転してからではなく、すぐに改心すること、これが悔い改めなのです。神さまはわたしたちの心の中をすべてご存じでいらっしゃいます。だからこそ、心からの悔い改めをした人を赦してくださるのです。そして心から悔い改めたら、それが行動につながって行くのです。

火曜日の学びにもありますが、申命記で神さまを求めるものは祝福され、従わないものには苦しみをというメッセージは新約聖書になっても変わらないメッセージと書かれています。聖書は旧約聖書から新約聖書まで、神さまの愛は変わらないこと、そしてその愛に応えることは、わたしが決めること、このメッセージも変わらないのです。神さまはねたむ神です。それだけわたしたちのことを愛して、気づいて悔い改めるように働いてくださっているのです。救いを受け入れたわたしたちでも、高慢になって神さまから離れてしまっていることがあるかもしれません。その際にも神さまは働きかけてくださいます。気づいたら、そのところから神さまの所へ帰って行きましょう。

そしてそれがあなたの子孫が生きながらえることにつながって行きます。(30:19参照)それは親が信じたら子どもが救われるというかけではありません。あなたの歩みを見て、家族も救いへの道を選んで行くようになるのです。愛する家族とともに天国へ入れていただきたいですね。