第8課 命を選ぶ 11月20日
暗唱聖句
「わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、 祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし」
申命記 30:19
今週の聖句
創世記 2:8、9、ローマ 6:23、1 ヨハネ 5:12、申命記 30:1~20、
ローマ 10:6~10、申命記 4:19、黙示録 14:6 ~ 12
今週の研究 今週私たちは、命の選択について、命を選ぶ機会について、申命記から引き続き学びます。命を与えて養ってくださっている主なる神が、恵みによって与えてくださった条件のもとで命を選ぶのです。
月曜日:結局のところ、私たち人類に中立の立場はありません。大争闘が完全に終わる前に、罪、サタン、悪、不服従、そして反逆は根絶されます。その後、私たち1人ひとりは、神が世界の創造の前に、元々私たちのために計画しておられた命である永遠の命を得るか、あるいは、「彼らは、主の面前から退けられ、 その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう」 (2テサ1:9)と書かれた永遠の死に直面するかのどちらかです。聖書はこの二つ以外の選択肢を示していません。
どちらの運命が私たちのものになるのでしょうか。その答えは最終的に私たち自身の選択にかかっているのです。私たちの前には生か死かの選びしかないのです。
火曜日:申命記の終盤で、民が主に従わず、契約の約束を破ることによって彼らに起こることを長く語った後で、申命記30章は、彼らが背き、荒れ野をさまようことになったとしても、神は彼らを約束の地に導かれるという約束で始まっています。
それは、彼らが悔い改め、その罪を離れるときに実現する約束でした。
主の選択肢は非常に明白です。ヤハウェの神は、基本的にエデンでアダムとエバに提示されたのと同じ選択肢を彼らの前に置かれます。申命記30:15で用いられているヘブライ語の「幸い」〔善〕と「災い」〔悪〕は、創世記で「善と 悪を知る木」に用いられているヘブライ語と同じです。聖書全体がそうであるように、善と悪の中間の立場はないのです。主に仕えて命を得るか、死を選ぶかのどちらかなのです。この事実は今日の私たちにとっても変わりません。
金曜日:というわけで、私たちはすべてのことに選択の機会が与えられています。ここで重要なのは選択という言葉です。ある特定のキリスト教が理解するように、神は、ある人は滅びるだけでなく永遠に地獄で焼かれるように、人類誕生の前から定めておられるわけではありません。聖書は、私たちは生と死、祝福と呪い、幸いと災い、どちらの組(命・幸い・祝福/死・災い・呪い)を決めるか、選択の自由を持っていると教えています。さらには、誤った選択をした場合、その結果は、決して尽きることのない火の池での永遠の苦悶ではなく、死、永遠の死であることを知っていることは、なんと幸いなことでしょうか。
今週は申命記30章を中心に学びます。この章の中で、1,15,19節の三ヶ所に「祝福と呪いをあなたの前に置く」と書かれています。15節は「いのちとさいわい、死とわざわい」を置いたと書かれています。申命記でくりかえして書かれているのは、それを選ぶのはあなたなのです。神さまは、出エジプトからたくさんのめぐみと力を示されてきました。神さまに従うことは、永遠のいのちへの道です。そして幸せへの道なのです。けれども人の欲情を刺激して死それも永遠の死や禍へ導こうとする力もあるのです。これだけはっきりしたものをあなたの前に置くから、あとはあなたが選ぶように神さまはおっしゃっています。そこには、中途半端はありません。右か左しかないのです。
神さまは、わたしたちがいのちを選ぶことがどんなにすばらしいことなのかを示すように召されました。これだけちがいがはっきりしているのに、多くの人は誘惑に負けてしまう方を選んでいます。いのちに至る道は細いかもしれません。けれどもわたしたちが、それを選ぶ人が増えるように導いて行かねばならないのです。
そしてそれがあなたの子孫が生きながらえることにつながって行きます。(30:19参照)それは親が信じたら子どもが救われるというかけではありません。あなたの歩みを見て、家族も救いへの道を選んで行くようになるのです。愛する家族とともに天国へ入れていただきたいですね。