安息日学校部

20210401安河内アキラ解説

2021年第4期「申命記に見る現代の心理」

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第1    申命記の序文      10月2日

 

暗唱聖句
「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」 ヨハネ第一 4:8

                                           

今週の聖句
イザヤ 14:12~14、エゼキエル 28:12~17、創世記 3:1~7、創世記 12:1~3、
使徒言行録 7:20~36、出エジプト記 19:4~8

                                           

今週の研究   申命記はもちろん、孤立して存在してはいません。人生のすべてがそうであ るように、申命記も文脈の中に存在しています。そして、人生のすべてがそうであるように、その文脈はこの書の意味と目的に重要な意味を与えています。

数千年の歴史の上に書かれた申命記を1週間で学ぼうとするのも同じことです。しかし、「現代の真理」という文脈に照らして学ぶとき、私たちはこの書を最もよく理解することができ、その豊かな恵みに味わうことができるでしょう。

                                           

はじめに:今期の学びのテーマは、「申命記に見る現代の真理」です。私たちは、神がその契約の民に与えられたみ言葉の中に、現代の真理のメッセージを見いだします。

今期、私たちは、申命記を貫く永遠の契約、律法、恵みというテーマに沿ってこの書を学びます。それは、神を愛し、隣人を愛しなさいとの命令に集約されます。申命記の最も重要なテーマであり、申命記がそのすべてを通して私たちに示そうとしているのは神の愛です。イエスの死と復活がその愛を最も力強く物語っています。

                                           

水曜日:エジプトの住居の鴨居の血から、紅海のドラマに至るまで、出エジプトとそれに伴う出来事はすべて驚きの連続です。イスラエルにとってそれらのドラマは、忘れえないものとなったことでしょう。(エジプトの初子から紅海の底に沈んだ兵士に至るまで、そこで死んだ者たちを神は公正に裁かれます。)主は言われました。 「あなたたちは見た/わたしがエジプト人にしたこと/また、あなたたちを鷲の翼に乗せて/わたしのもとに連れて来たことを」(出19:4)。

一つの国民を他の国民から救い出すために、主はなぜこれほど衝撃的かつ劇的な方法をお選びになったのでしょうか。モーセ自身が言ったように、「あるいは、あなたたちの神、主がエジプトにおいてあなたの目の前でなさったように、さまざまな試みとしるしと奇跡を行い、戦いと力ある御手と伸ばした御腕と大いなる恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出」されたのでしょうか(申4:34)。

                                           

木曜日:「わたしたちは、主が語られたことを、すべて行います」(出19:8、出24:3、24:7も参照)。その都度、民はこれらの言葉を自分たち自身に言い聞かせるのですが、残念ながら、聖書の歴史は、彼らの行動は度々こうした言葉とは矛盾したものになったことを示しています。彼らは選ばれた民であり、主との契約関係に自らの自由意志で入ったにもかかわらず、彼らは、唯一の条件として与えられた義務を果たしませんでした。

神に従い、その律法を守るようにとの召しは当時、今日私たちが考えるよりも律法主義的なものではありませんでした。しかし、イスラエルの子らは何度も何度も義務を果たすことに失敗しました。

実に、シナイ山を目の前にしながら、彼らは背信に陥ったのでした(出32:1 ~6参照)。不幸なことに、その不信仰は一時の例外でなく、彼らの日常になり、彼らはすぐに約束の地に入る代わりに、40年も荒れ野をさまようことになるのでした。

                                           

金曜日:「イスラエルが40年の間、カナンにはいれないという命令は、モーセとアロン、カレブとヨシュアにとって苦しい失望であった。しかし、彼らはつぶやくことなく、神の決定を受け入れた。しかし、神の御処置についてつぶやき、エジプトに帰りたいと言っていた人々は、自分たちが侮った祝福が彼らから取り去られた時に、激しく泣き悲しんだ。彼らは取るに足らぬことのためにつぶやいてきた。そこで、神は今、悲しむ理由を彼らにお与えになった。もし、彼らの罪 がそのまま目の前に示されたときに、彼らが自分たちの罪を悲しんだのであれば、この宣告は与えられなかったはずであった。だが、彼らは、この刑罰を悲しんだ。彼らの悲しみは、悔い改めではなかったから、この宣告の取り消しを得ることはできなかった」(『希望への光』202ページ、『人類のあけぼの』上巻471ペー ジ)

                                           

今期は申命記を学びます。申命記は、モーセが最後にイスラエルの民に語った言葉がまとめられています。ある意味で、聖書の教えがまとまって書かれている最初の書簡ではないでしょうか。またユダ王国の歴史の中で、何回かリバイバルが起こり、偶像礼拝が廃された時があります。そのきっかけになったのも申命記を再発見して、そこから光を受けて改革が始まっているのです。(列王記下2章参照)

今期は、はじまりに、この申命記を現代の真理からともに学んでみると書かれています。21世紀に生きるわたしたちにとって、いにしえのみ言葉がどのような光をあなたに与えてくれるでしょうか。

金曜日の学びも重要です。イスラエルの民が約束の地へ入れなくなり、悲しんでいる理由は、罪を悲しむのではなく、自分たちの未来が閉じてしまったことへ悲しみと書かれています。わたしたちは自分のことを中心に考えてしまうことは仕方がないことです。罪は神さまとの正しい関係ではないために起こります。だからこそ申命記は、くりかえして神さまに、そしてみことばに服従することを勧めています。そして神さまに従う者たち、それは神さまを愛する者でもありますが、彼らを神さまは祝福されます。同時に背を向けるものに対して、正しい道へ立ち返るように、まちがいに気づくように、様々な方法で語りかけられます。それは厳しいけん責や苦しみなどを通して語られることもあります。どちらもわたしたちを愛しているからこそ、語りかけてくださっているのです。その神さまの働きは今も変わりません。申命記からわたしたちへの光を見つける三ヶ月にしたいと願っています。

今期の13回献金は、北アジア太平洋支部です。聖書研究ガイド本文の中のあかしも、北アジア太平洋支部の方々のものです。