安息日学校部

202103013安河内アキラ解説

2021年第3期「キリストにある休み」

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第13    究極の休み      9月25日

 

暗唱聖句

「しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。」 コリント第一 2:9

                                           

今週の聖句

黙示録 1:9~19、マタイ 24:4~8、23~31、黙示録 14:6~12、

ヘブライ 11:13~16、フィリピ 4:4~6

                                           

今週の研究   大争闘は、個人的なレベルでも展開しています。私たちのだれもが、日々の生活の中で信仰の挑戦を受けています。もし私たちがイエスの再臨に向かって生きるのでないなら、私たちもまた死を待つのみです。今週私たちは、世界的な不安、そして私たち自身の未知の将来に直面しながら、少なくとも人生という短い区切りで見て、どのようにしてイエスの内に休むことができるかについて学びますが、長期的に見れば、それは実に希望に満ちたものになるのです。

                                           

月曜日:イエスの再臨は、文字通り終末に起きる出来事です。預言の中に、そしてイエスご自身の説教の中に、再臨はどれほど繰り返し言及されているか考えてみてください。これはもう預言の大盤振る舞いと言えます。

前回、この地上で世界規模の出来事が起きたとき、備えができていたのは、世界中にたった8人だけでした。イエスは再臨の意外性について、この出来事、すなわち洪水と対比させておられます(マタ24:37~39)。再臨の「その日、その時」はだれも知りませんが(同36節)、神は私たちに、世界に起きる状況を見てカウントダウンできるように、終末の出来事を予告してくださったのです。

                                           

水曜日:死者が「安らかに」休んでいるという考えは、もちろん、死が何を意味するかについての真理を語っていると言えます。死は確かに休みを意味します。「『もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう。……わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろう』(ヨハネ8:51、52)。クリスチャンにとって死は眠り、一瞬の沈黙と暗黒 にすぎない。生命はキリストと共に神のうちにかくされ、『キリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう』(コロサイ 3:4)」(『希望への光』1092ページ、『各時代の希望』下巻318ページ)。

イエスは人の死と復活の朝の間の状態を、意識のない眠りにたとえておられます(ヨハ11:11、14)。しかし彼はまた、救われる者たちと失われる者たちは、復活の後に、彼らの報いを受けることを強調しておられます(ヨハ5:28、29)。 彼は、それがいつ来ようと、死に備えていることの必要を強調しておられます。

                                           

木曜日:本当に「思い煩うのをやめ」たときに私たちに与えられる魂の安らぎは、どれほどのものでしょうか。これは、この世に生きる者にとっては(おそらく、さまざまな悩みを抱えていたパウロにとっても)難しいことです。しかし、愛の神が 究極的にすべてを御手に治め、私たちを神の国に救ってくださると知ることは、私たちが悩むすべてのことに対する正しい視点を与えてくれます。

「主はすぐ近くにおられます」とは、主がいつも私たちの近くにいてくださるということであり、私たちが目を閉じ、死の眠りの中に休んだ後、次に目に見える情景はキリストの再臨であるということなのです。

疑いなく、この世は緊張と試練と闘いに満ちています。だれ1人逃れることはできません。紛れもなく使徒パウロでさえその1人でした(2コリ11章)。にもかかわらず、彼は私たちに語りかけます。今、それらの試練を耐え忍ぶなら、私たちはキリストの内に与えられている救いの喜びに憩うことができ、そして事実、この世にあってさえ、魂の休みを得ることができるのです。

                                           

キリストにある休みと題して3ヶ月学びを続けて行きました。聖書の中で登場する人物を通して、神さまを信じることによって与えられる休みについて学んできました。残念ながら、この地上では罪との戦いが続いており、様々な悩みや苦しみと日々戦っているのです。その中で、わたしたちはいかに休むことを通して、新たな力を得て前進することができるのでしょうか。

今期最後の学びは「究極の休み」というタイトルです。このタイトルだけを見て、今期の学びのはじめに内容を想像していました。究極の休みとはどのような状態なのでしょう。再臨、天国は罪との戦いが終わって、究極の休みに入るというのが今期の学びのまとめだろうと考えていました。たしかにそのとおりなのですが、現状の罪との戦いの中にあって希望ではありますが、今置かれている状況の助けにはなりません。

木曜日の学びのピリピ4章のみことばが今期のまとめなのかもしれません。キリストは天国はこの地上にもあると話されています。(マタイ12:28,ルカ17:20参照)どんな苦しい時でも、神さまがいっしょにいてくださることに気づくと、平安になりそこが天国に変わるのです。天国は場所も大切ですが、そこに神さまがいらっしゃることが大切なのです。そしてすべてに勝利されたと約束されたイエスさまがともにいる時に、悩みや苦しみから解放されて、究極の休みに入るのです。(ヨハネ16章33節参照)