安息日学校部

202103012安河内アキラ解説

2021年第3期「キリストにある休み」

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第12    つむじ曲がりな預言者      9月18日

 

暗唱聖句
「それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」 ヨナ4:11

                                           

今週の聖句
ヨナ1~4 章、エレミヤ25:5、エゼキエル14:6、黙示録2:5、
ルカ9:51~56、ユダ1~25

                                           

今週の研究
聖書の中で最も興味深い物語の一つに、ヨナの物語があげられるでしょう。彼は神の預言者であり、神について語る者であったのに、なんと神の召しから逃げたのです。その後、彼は劇的な方法で説得されて主に従います。従うのですが、その後どうしたでしょうか。なんと彼が召されて預言をし、それによって悔い改め、滅びから救われたニネベの民が滅びてしまえばよかったのにと、神に文句を言ったのです。

今週、私たちはヨナについて学び、彼のいらだちと平安の欠如から何を学ぶことができるかを考えたいと思います。

                                           

月曜日:海の深淵という非常に危険な環境にありながら、ヨナはその祈りの中で、聖所について祈ります。彼は神の「聖なる神殿」に思いを馳せます。大魚の腹の中で何が起きているのでしょう。

聖なる神殿が、この祈りの焦点となっています。そしてそれは、一般的に祈りの中心となるべきものです。旧約聖書では聖所が、本来唯一神がおられる場所でした(出15:17、出25:8参照)。聖所は祈りと神との交わりの中心です。

しかし、ヨナはここでエルサレムの神殿ではなく、天の聖所について語っています(ヨナ2:8〔口語訳7 節〕)。そこは、彼の希望が存在する場所です。なぜなら、神と神の提供する救いは、天からやって来るからです。

ヨナは遂に、この重要な真理を理解します。彼は神の恵みを経験します。彼は救われていたのです。魚が彼を吐き出したとき、彼は、逃げ出した預言者である彼に対する神の愛を初めて理解します。彼は確かに、どんな信仰者にとっても安全な唯一の道は(時にそれが遠回りに見えても)、神のみ心の内にいることであることを知ったのです。

こうして今、彼は神のご命令に従って任務を果たす決心をします。彼は疑いを捨てて信仰によって、遂にニネベに向かいます。彼がこのはなはだしく悪に染まった都市に向かって行くとき、この町の住民は、彼らの悪がどんなにひどいものであるかを語る異国の預言者を、好ましい存在とは思わないかもしれません。

                                           

水曜日:預言者に対する神の忍耐は驚くべきものです。神は意図してヨナをお用いになられたように思えます。ヨナが逃げ出したときには嵐を送り、この逃亡者をに、「お前は怒るが、それは正しいことか」と仰おおせになって、彼に自分の悪い態度を反省させようとされます(ヨナ4:4)

                                           

木曜日:ヨナは自分が考えるよりも、もっと問題でした。ニネベは危険な存在でしたが、ヨナの物語の中では、ニネベ人が問題なのではありませんでした。彼らはメッセージを理解し、すぐに悔い改めました。宣教師であったヨナは、この宣教物語の中で見る限り、弱い者であるように見えます。この解釈によれば、神は、ニネベ人がこの宣教師のメッセージを聞く必要があった以上に、ヨナ自身がニネベに行く必要があったことをご存じだったので、この神の召しをいやがる預言者に付きまとわれたのです。

                                           

今週は、預言者ヨナについて学びます。今期の学びはキリストにある休みです。その視点でヨナの働きを学んで行きましょう。

聖書研究ガイドの本文の日曜日の学びで、神さまがヨナを派遣されようとしたニネベの街について書かれています。ニネベはアッシリア帝国の中心都市で、この国はイスラエル王国を滅亡させて、強制移住などをさせるなど残虐なことを行ってきたのでした。そんな国へ行って警告をする、ヨナとしては行きたくないですよね。東のニネベではなく、最も西へ行くタルシシュ(現在のスペイン)へ逃げて行きたくなるのもわかります。

そこまで逃げようと背を向けたのだから、神さまは別の人を立ててと預言者は考えたのかもしれませんが、ご存じのように嵐にあって、彼は海に投げ込まれてしまい、魚の腹の中で三日間を過ごすわけです。この三日間がキリストにある休みです。わたしたちはその後のことを知っていますが、この時点ではヨナにとっては、嵐から避けることができたのかもしれませんが、このまま行ったら魚の腹の中で消化させてしまうのではないだろうかという恐怖もあったはずです。月曜日の引用文の中で、この時のヨナの思いについて書かれています。彼はこの三日間祈り、そして神さまと信仰の格闘をしたのではないでしょうか。

そしてもう一回、ニネベでの伝道が大成功して、神さまがニネベの街を滅ぼすことを止めた時、彼は不快に思い神さまに怒ります。(ヨナ4:1参照) けれども水曜日の引用文にありますが、神さまは預言者ヨナに忍耐深く語られます。

ヨナを通してキリストのある休みについて考えると、わたしたちの人生は考えているように進まないことも多々あります。そのような中で感情的になってしまう時もあるでしょう。神さまはこのような時に、休みを与えて、静かに考える時を与えられます。忙しすぎることで、わたしたちは正しい判断ができなくなる時があります。休みを通して、神さまとわたしたちの関係について静かに考える時に、神さまのみこころがあなたの心に届くのではないでしょうか。