安息日学校部

202102011安河内アキラ解説

2021年第2期「約束―神の永遠の契約」

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第11  新しい契約の聖所 6月12日

 

暗唱聖句    「こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、……召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。」     ヘブライ9:15

                                           

今週の聖句   出エジプト記25:8、イザヤ53:4~12、ヘブライ10:4、ヘブライ9:14、 ヘブライ8:1~6、1 テモテ2:5、6

                                           

今週の研究  聖所は、それは影であり、型であり、本物の写しであると言います。にもかかわらず、その影と写しは、それらが代表する真理である、キリストの死と天の聖所における大祭司としての働きを指し示すのに十分なのです。

神はなぜイスラエルに聖所を建てるように望まれたのでしょうか。聖所は私たちの身代わりとしてのキリストについて、何を教えていますか。イエスは私たちの代表として天で何をしておられますか。

                                           

日曜日:ここではっきりさせておくべきことがあります。「古い」契約であれ、「新しい」契約であれ、神はその民との愛のうちにある親しい関係を求めておいでだということです。事実、契約は、基本的には、契約関係のための「規約」(ほかに良い言葉が見つからないのですが)を補うものなのです。関係はどんな時代にも、どんな文脈においても契約になくてはならないものです。しかし、関係が存在するためには、関わりや交わり、そして触れ合いが必要です。罪深い、誤りに陥りがちな、不確かな人間の中にあっては特にそうです。

                                           

火曜日:身代わりは、救いの計画全体の鍵です。私たちの罪のために、私たちは死に価する者だからです。キリストは、私たちに対する愛のゆえに、「御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」(ガラ1:4)。彼は私たちが負って当然の死を負ってくださったのです。罪人のための身代わりとしてのキリストの死は、すべての真理がそこから流れ出る、最も大いなる真理なのです。私たちの回復、自由、赦し、天国での永遠の命はみな、イエスがなさった私たちの罪のためにご自身をお与えになった御業にかかっているのです。この御業なくして私たちの信仰は虚しいものです。救いはただ、血を通して、しかもキリストの血を通してのみもたらされるのです。

                                           

木曜日:ヘブライ9:24を研究しましょう。特に、私たちのために犠牲として死なれた後、私たちのために天で奉仕をしておられるキリストを説明する前後の文脈に注意してください。今やキリストは、私たちのために神の御前に現れてくださったとあります。
これはどういう意味でしょうか。罪深い堕落した人間であり、御前に出れば神の栄光の輝きに焼き尽くされてしまう存在である私たちが、どれほど悪い者であり、どれほど大胆に神の聖なる律法を侵してきたかによらず、私たちのために、神の御前に出てくださるお方があるというのです。私たちには、私たちのために父なる神の御前に立つ代理人があるのです。キリストが、この地上でどれほど愛に満ち、赦しに富み、罪人を受け入れるお方であったかを考えてください。その同じお方が今、私たちの仲保者として、天で奉仕しておられるのです。

                                           

まとめ:旧約の犠牲制度は、新しい契約に取って代わられ、地上の聖所で罪ある祭司によって献ささげられる動物の犠牲に代わって、今や、私たちのための完全な犠牲であられるイエスがおられます。彼は天の聖所で父なる神の御前で私たちの代表者として立っておられます。これが新しい契約と約束の土台を形づくる思想です。

                                           

今週は、契約と聖所について学びます。日曜日の引用文でわたしたちとの契約は「神はその民との愛のうちにある親しい関係を求めておいでだということです。」と書かれていました。そしてモーセの時代に聖所を作る理由として「彼らのうちに住むため」(出エジプト25:8参照)と神さまは語っています。わたしは牧師として働き始めてから、いくつかの街で暮して来ました。初めて北海道に着任する時にフェリーで渡道した時に、水平線の向こうに白い大地が見えて来たら、これからここに住んで生きていくんだという思いが湧いてきました。住むことによって、その街の一員となり、生活をともにして行きます。神さまがわたしたちといっしょに住むために聖所を設けてくださったのです。神さまはいつもわたしたちとともにいてくださいますが、砂漠の中で暮しているイスラエルの民のために聖所という目に見えるかたちでともにいてくださったのです。

けれども聖所の目的は、わたしたちの罪を贖う場所でした。そして旧約聖書はキリストの犠牲の象徴として犠牲の動物の血が流されていたのです。神さまとの契約は、契約を信じるわたしたちの罪をキリストが身代わりとなって背負ってくださることでした。その犠牲となってくださった方が、聖所で贖っていてくださる、そのことをわたしたちが信じることができるために地上でも聖所が設けられたのです。木曜日の引用文にありますが、そのキリストがわたしたちの罪を贖うために神さまの前に出てくださっています。本来だったら、わたしたちが自らの罪の弁明をしなければならないのに、わたしたちのために聖所で働いてくださっているのです。わたしたちの罪を自分たちの力で消すことはできません。キリストの血によるしかないのです。わたしたちの罪が赦されるためにも、キリストの聖所での働きが必要なのです。