第9課 契約のしるし 5月29日
暗唱聖句
「イスラエルの人々は安息日を守り、それを代々にわたって永遠の契約としなさい。」
出エジプト記31:16
今週の聖句
創世記2:2、3、出エジプト記20:11、出エジプト記16 章、
ヘブライ4:1~4、出エジプト記31:12~17、申命記5:14
今週の研究
そして安息日がやって来て、私たちのあるべきところ、すべての出発点に引き戻してくれます。なぜなら、すべてのものは神によってつくられたという事実こそが、私たちの出発点であるからです。
創造の御業は、今も反駁できないすべてのキリスト者の信仰の基礎であり、第七日安息日は、反駁できない、慎み深い断固たるしるしなのです。
私たちは今週、シナイの契約の文脈からこのしるしについて学びます。
日曜日:神学者カール・バルトは、創造後の神の休息は、「恵みの契約」の一部であると考えました。それは人類を「〔神の〕休息に神と共に入らせるため」でした(『教会教義』第3巻第1部98ページ、英文)。
神は愛のうちに、彼らを創造した次の日の休息と交わりに、その御形かたちにつくられた主との親しい交わりに、人類を招かれました。この交わりは、永遠に続くのです。人類の堕落以来、この交わりは人類に対して週ごとに、救い主との最高の幸せとして与えられてきたのです。
火曜日:安息日が恵みの契約のしるしとしてこれほど魅力的であるのは、何世紀もの間、ユダヤ人が安息日をメシアによる贖いのしるしと考えて来たからです。彼らは安息日を通して、メシアによる贖いを先取りしていたのです。私たちは、贖いは恵みによってのみ成ると理解し、契約は恵みの契約であると理解しています。安息日、贖い、そして契約の間の関連は、明白です(申5:13~15)。このように、一般的な考えとは対照的に、安息日は神の救いの恵みのしるしであり、行いによる救いのしるしではないのです。
水曜日:さらに、安息日は聖化のしるしとしての意味を持っています。それは、主がその民を「聖」とすることによって(申7:6)、「聖化」されることを意味します(レビ20:8比較)。したがって、安息日は、聖なるものとするお方としての神の知識を与えるしるしなのです。
木曜日:安息日は、過去においても現在もなお、人が「覚える」べきしるしです。「覚える」という言葉はさまざまな意味を持っています。まず、「覚えること」は、過去のあるものを思い出すことを意味します。この意味において、安息日は私たちに創造の御業を指し示します。そのクライマックスは、週ごとの休息と神との特別な交わりの日としての安息日の制定でした。覚えよとの命令は、現在でも意味を持ちます。私たちは安息日を「覚える」だけでなく(出20:8)、それを「守り」、「聖別する」ことが求められています(申5:12)。このように、安息日は現在の私たちにも重要な意味を持っているのです。
まとめ:安息日は、救いの計画が完成するときを指し示す契約のしるしです。それは過去の創造を指し示すと同時に、恵みの契約のしるしとして、神がすべてのものを新しくされる最終の再創造を私たちに指し示します。
今週は、安息日と契約について学びます。安息日は「恵みの契約のしるし」、「聖化のしるし」、「人が覚えるべきしるし」と今週の学びでは教えています。
日曜日の引用文で、安息日は神さまが交わりのために設けてくださったとあります。創造主である神さまからわたしたちに近づいてくださり交わってくださる、このことを見ても、火曜日にあるように恵みの契約のしるしとなりますね。安息日を守るという行為の結果救われるのではありません。神さまとのめぐみの関係がつながっていること、安息日にそのつながりを再確認する日でもあるのです。神さまは、自分の力で実らせるのではなく、つながっているように教えています。(ヨハネ15章参照)
水曜日の引用文では、安息日は聖化のしるしと書かれています。わたしたちが安息日に、みことばを通して正しいことを、そして聖なることについて学びます。これを通してわたしたちは正しい道を選んで歩むことができます。
そして木曜日には「人が覚えるべきしるし」とあります。何を覚えるのでしょう。それはわたしたちがどこからやってきたかについてです。いのちは神さまのことばによって創造されただけでなく、存在のすべては神さまのことばによって生かされているのです。安息日は、このいのちのことばによってわたしたちに永遠のいのちが与えられ、生かされていることを人間に教えています。このことを通して謙虚に神さまの声に従うように教えているのです。