安息日学校部

202102007安河内アキラ解説

2021年第2期「約束―神の永遠の契約」

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第7  シナイでの契約 5月15日

 

暗唱聖句
「あなたたちは見た/わたしがエジプト人にしたこと/また、あなたたちを鷲の翼に乗せて/わたしのもとに連れて来たことを。」
出エジプト記19:4

                                           

今週の聖句
申命記1:29~31、ホセア11:1、黙示録5:9、申命記29:9~12(口語訳10〜13)、
出エジプト記19:5、6、ローマ6:1、2、黙示録14:12、ローマ10:3

                                           

今週の研究
主はご自分とイスラエルとの関係を何にたとえていますか。出エジプトとシナイ山での物語は、個人的救いの観点からどのように共通していますか。シナイでの契約において律法はどのような役割を持っていますか。

                                           

月曜日:出エジプト記3:8で神は、イスラエルを救うために「降って行き」と言われます。これは神が人間に関わられるときの一般的なヘブライ語の表現です。神は天におられ、私たちは地上にいます。神が地上に「降って」来られて初めて、神は私たちを贖うことがおできになるのです。この贖いの思想はその真の意味において、イエスが私たちのために降り、生き、苦しみを受け、死に、そしてよみがえるときにのみ、私たちは贖われることを意味するのです。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハ1:14)とのみ言葉は、神が私たちを救うために「降って」来られたことを表すもう一つの表現なのです。

                                           

火曜日:出エジプト記は、読者の注意を三つの主な出来事に惹きつけます。三つの大きな山のように、出エジプトそのもの、契約の制定、そして聖所の幕屋の建築がふもとの丘のような小さな出来事の上にそびえています。三つの中でも、出エジプト記19章から24章に記されている契約の制定は、エベレスト山に相当するものでした。出エジプト記19章から24章を概観すると、出来事の関係と順序がわかります。
もし、下に挙げた聖句をすべて読む時間がなければ、出来事の順序に注目してください。
(1) 主に救出された後のイスラエルのシナイへの到着と宿営(出19:1、2)
(2) 神のイスラエルに対する契約の申し出(出19:3~6)
(3) 契約を受諾したイスラエルの応答(出19:7、8)
(4) 正式に契約を受けるための準備(出19:9~25)
(5) 十戒の宣言(出20:1~17)
(6) 契約の仲介者としてのモーセ(出20:18~21)
(7) 読み上げられた契約の原則(出20:22 ~出23:22)
(8) 契約の確認と同意(出24:1~18)
この契約は救いの計画の中で、きわめて重大な役割を果たすものです。それは(アダム、ノア、アブラハムに続いて)、聖書に記録された4番目の契約であり、特に聖所の儀式の全体を含むそれらの契約の中に、神は以前より完全な形でご自身を表されたのでした。こうして、聖所は、神が民に救いの計画を示す手段となり、さらにそれらは世に表されるのでした。

                                           

水曜日:「私たちは服従によって救いを買うのではありません。救いは神から価なしに与えられる賜物であって、信仰によって受けるのです。服従は信仰の実です」(『キリストへの道 改訂第3版文庫版』85ページ)
主がイスラエル民族のために喜んでしたいと望まれたことについて考えてください。主は彼らを奇跡的にエジプトの奴隷の境遇から救い出すだけでなく、彼らをご自身が所有する宝、祭司の国民にしたいと望まれました。すべては、諸国民に福音を伝えるために彼らを用いるという目的のためでした。彼らがなすべきことのすべては、主に応えて従うことでした。

                                           

木曜日:不幸にして、ヘブライ人は、服従は救いの結果ではなく、救いの手段であると信じていました。彼らは、信仰によってもたらされる「神の義」ではなく、律法に対する服従の中に義を求めました。シナイの契約は、多くの詳細な指示と律法を伴うものでしたが、先に与えられたすべての契約と同じように、恵みの契約としてデザインされたものでした。この無償で与えられる恵みは服従と導く心の変化をもたらします。問題はもちろん、彼らが従おうとすることではなく(律法は彼らに従うことを要求します)、彼らが差し出そうとする「服従」の種類なのです。

                                           

まとめ:神がシナイでイスラエルと結ばれた契約は、恵みの契約でした。驚くべきエジプトの奴隷の境遇からの救出という、主の恵みに満ちた愛と配慮の十分な証拠を与えることによって、神は民を契約の中に招かれたのでした。イスラエルはこれに肯定的に応答しますが、彼らには愛によって働く真の信仰が欠けていました。彼らののちの歴史のほとんどが示すように、彼らは契約の真の性質を理解せず、その契約を行いによる救いへと堕落させたのでした。私たちはイスラエルの失敗を繰り返して、罪人へと届く驚くべき恵みを軽視する必要はないのです。

                                           

今週は、出エジプトとシナイ山での契約について学びます。イスラエルの民はヨセフの時代にエジプトへ一族で移住します。そこで400年を過ごします。400年という長さは、徳川幕府の時代よりも長いわけです。彼らが異教エジプトの文化の影響を強く受けていたことはまちがいあません。その彼らに、出エジプトにあたり、さまざまな不思議なできごとを通して、神さまが生きておられることをお示しになった上で、シナイ山で神さまが降って来られたのです。

月曜日の引用文に「神さまからわたしたちを救うために降ってこられた」とあります。神さまとの契約は、アダムの時代から罪を犯した人を救うために、神さまからわたしたちのために近づいて来てくださったのです。そしてイスラエルの民はエジプトの圧政に苦しみ救いを求めました。けれども神さまが決められた時に、救いの手を差し伸べてくださったのです。このように契約は、神さまがわたしたちを救うためになさってくださったことです。

けれども契約は、対象であるわたしたちが、それを受け入れることによって成立します。聖書は契約の成立にあたり、人間が求められているのは服従であると教えていますが、水曜日、木曜日そしてまとめには、この服従が何か教えられています。イスラエルの人たちは、律法に服従することで救いを求めようとしました。ここで求められている服従は、罪を赦してくださるという約束、十字架の血を信じることです。服従は目的ではなく、いのちのことばや約束を信じることです。契約に伴う服従の意味について今週はしっかりと学んでください。