第6課 アブラハムの子孫 5月8日
暗唱聖句
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
ペトロ第一 2:9
今週の聖句
エゼキエル16:8、申命記28:1、15、エレミヤ11:8、創世記6:5、
ヨハネ10:27、28、ガラテヤ3:26~29、ローマ4:16、17
今週の研究
主はイスラエルを、3つの大陸(アフリカ、アジア、ヨーロッパ)をつなぐ架け橋として戦略的に「国々の中」に置かれました(エゼ5:5)。その時代も、そして今日も、神様は忠実な残りの民をお持ちでした。今週私たちは、各時代の真のイスラエルの役割と、そのアイデンティティーに焦点を当てて学びます。
月曜日:それらはすべて、土地に関する約束であったにもかかわらず、無条件の約束ではありませんでした。それらは契約の一部として与えられるのであり、イスラエルはこの契約において彼らの果たすべき分がありました。もし果たさなければ、契約は無効になるのでした。主は、もし彼らが従わなければ、その土地は彼らから取り上げられることを明白に、繰り返し宣言されました。レビ記26:27~33を読んでください。これ以上明確な表現があるでしょうか。
火曜日:不幸にして、イスラエル国家の歴史は、そのほとんどが、背信、天の裁き、悔い改め、そしてしばらくの服従の時代の繰り返しでした。ダビデとソロモンの時代に、ほんの短い期間、約束された領土のすべての範囲を統治したにすぎません。 重要なことは、イスラエルの背信の根源は不服従にあったのではなく、壊れた主との個人的関係にあったということです。壊れた関係が不服従を招き、不服従がついには罰を招いたのです。
水曜日:神の古代イスラエルに対する計画が、不服従によって損なわれたとはいえ、それは完全に無に帰したのではありませんでした。雑草の中にあって成長する花があるように、多くの旧約の預言者たちは、忠実な残りの者たちについて語っています。神はそれらの花を集めて美しいブーケをお作りになったのでした。
神が忠実な残りの者をお備えになり、守られた理由は、イスラエル全体に対するものと同じでした。すなわち、「彼らはわたしの栄光を国々に伝える」(イザ66:19)道具として用いるために神に召し出されたのです。この意味において、「万軍の主なる王を礼拝」(ゼカ14:16)する他の民も忠実な者に加えられるのでした。このように、神の選民の中にも背教が入りこみ、状況がどんなに悪くなってもなお、神は常に、神の召しを守り、選びに固く立つひとかたまりの忠実な者たちを持っておられるのです(2ペト1:10)
金曜日:「神は国籍、人種、または階級などの差別をお認めにならない。彼はすべての人類の創造主であられるのである。すべての人々は、創造によって1つの家族である。そしてすべての人々は、贖罪によって1つなのである。すべての魂が自由に神に近づくことができるように、キリストはすべての差別の壁を取り除き、神殿のすべての部屋を広く開けるために来られた。彼の愛は広く深く十分に満ちあふれていて、どんなところにでも浸透してゆくのである。それは、サタンの影響を受けてその欺瞞に惑わされた人々を引き上げて、約束の虹に囲まれている神のみ座近くに彼らを置くのである。キリストにあってはユダヤ人もなければギリシア人もなく、奴隷も自由人もないのである」(『希望への光』528ページ、『国と指導者』上巻337、338ページ)。
まとめ:神の真のイスラエルは、(十字架の前、後によらず)信仰のイスラエルです。それは主との霊的な関係に生きる人々です。そのような主の代表者たちは、主の恵みの福音を世に伝えるために生きるのです。
今週の日曜日の学びに書かれていましたが、わたしたちはなぜ神さまに選ばれたのかわかりません。わたしについては、忠実に教会に通う両親のもとに生まれてくるように神さまは置いてくださったのですから。
そして創造主を信じるわたしたちは、同じアブラハムの子孫となります。それはアブラハムに約束された祝福を受け継ぐのです。わたしたちは、いろいろな方法であかしをします。そのひとつはわたしたちを通してなされる祝福です。通常だったら、絶対に考えられないような道を開かれることによって、わたしたちに生きた神さまが働いてくださっていることを示すことができるのです。今週の研究にありますが、神さまはイスラエルを通して、神さまを通して与えられる祝福が全世界へ広がるように計画されたのです。
全世界で、さまざまな神さまのためにさまざまな働きがなされています。わたしたちの働きは神さまのみ旨に従っているものなのでしょうか。「あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。 」(マタイ7章16節参照)。目に見えない霊の世界には、神さまによる働きもあれば、悪霊による働きもあります。それを簡単に見分けることができないかもしれません。その働きの成果によって見分けるように、イエスさまは語っています。見分けることができるほど、実っていれば良いのですが、何も実っていない木には、「そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、『今から後いつまでも、おまえには実がならないように』と言われた。(マタイ21章19節参照)」と言われてしまうかもしれません。
いずれにしても 「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。 」(ローマ4章7節)とあるように、拙い器の中にすばらしい恵みが与えられています。これを伝えて、1人でも多くの方にお伝えすることが、わたしたちが救われた目的なのです。