第7課 アッシリア人の敗北 2月13日
暗唱聖句
「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。」
イザヤ37:16
今週の聖句
イザヤ36:1、イザヤ36:2~20、イザヤ36:21~37:20、
イザヤ37:21~38、イザヤ38、39 章
今週の研究
信心深い王の叫びに応えて、神はその民を救い、ご自身を示されました。地上の運命を支配されるイスラエルの全能の王は、主の民を滅ぼそうとする敵を滅ぼされるだけでなく、なんとかして主の民以外の「バビロン人」にも、主の民となるチャンスをお与えになります。
火曜日:神からのメッセージは短いものでしたが、十分なものでした(イザ37:5)。神は、ご自分の民の側におられました。イザヤは、センナケリブがうわさを聞いてユダに対する戦意をくじかれると告げます。そして、その預言は、すぐに実現することになります。
センナケリブは、一時的にひるみましたが、決してあきらめたわけではありませんでした。彼はヒゼキヤを脅迫して、次のように伝えます。「お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはない、と思ってはならない。……諸国の神々は彼らを救いえたであろうか」(イザ37:10、12、代下32:17 参照)。
ヒゼキヤは、今度はまっすぐに神殿に行き、「ケルビムの上に座しておられる」万軍の主の前に、センナケリブの手紙を広げて祈ります(イザ37:14~16)。
センナケリブは、ヒゼキヤの最強の砦とりでである彼の神への信仰を攻撃したのでした。しかし、ヒゼキヤはこれに屈することなく、神にご自身を示してくださるように嘆願します。「……地上のすべての王国が、あなただけが主であることを知るに至らせてください」(イザ37:20)。
水曜日:ヒゼキヤの揺るがない信仰の祈りに答えて、神はユダに揺るがない安全保障のメッセージをお与えになります。それは、高慢なアッシリアの王に対して下った、燃える神の怒りでした(イザ37:23)。神は速やかに、エルサレムを守る約束を成就されます(王下19:35~37、代下32:21、22、イザ37:36~38)。アッシリア軍の死者は、実に18 万5 千人に上りました。センナケリブは、撤退を余儀なくされ、自国で非業の死を遂げます(イザ37:7~38 と比較)。
「ヘブル人の神は、高慢なアッスリヤ人を打ち負かしたのである。周囲の国々の目の前で、主の名誉が保たれた。エルサレムでは、人々の心は聖なる喜びに満たされた」(『希望への光』525 ページ、『国と指導者』上巻327 ページ)。もし、センナケリブがエルサレムを征服していたなら、住民を国外に強制移住させ、ユダは北イスラエルと同じように、その独自性を失っていたでしょう。そうなれば、メシアが生まれるはずのユダヤ民族も消滅し、彼らの歴史はそこで終わっていたでしょう。しかし、神は希望の光を灯し続けてくださいました。
金曜日:「遠国の王からのこれらの使者たちの訪問は、生ける神を賛美する機会をヒゼキヤに与えたのである。彼がすべての造られたものを支えておられる神について語ることは、何と容易なことであったことだろう。その神の恵みによって、全く絶望的であった彼自身の生命が助けられたのである。……
しかし、誇りと虚栄がヒゼキヤの心を捕らえた。そして彼は得意気に、強欲な人々の目の前に神がお与えになった、神の民の宝を開いて見せた。王は、『宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった』(イザヤ39:2)。彼がこうしたのは、神に栄光を帰するためではなくて、外国の君たちの前で自分を高めるためであった」(『希望への光』519 ページ、『国と指導者』上巻309 ページ)。
今週は、イザヤ書36~39章を学びます。今週の学びの主人公はヒゼキヤ王です。彼は神に従わない父であるアハズ王の後を継いで25歳に王になり、29年間即位しました。(歴下29章参照) イザヤ書36章で、ヒゼキヤ王の14年目とありますから、彼が39歳のできごとです。今期の学びでユダ王国がエジプトやアッシリアなどの列強に囲まれて、隣国イスラエルとの関係などを保ちながら、国を守っていることを学んでいます。36章でアッシリアが再びユダ王国へ攻め込んで来ました。そしてエルサレムは包囲されて降伏を迫られたのです。わたしたちは歴史の結末を知っています。けれども王は国や民を守る決断をしなければならないのです。王は宮に上って祈りをささげる冒頭のことばが今週の暗唱聖句で、天地の創造主である神さまに助けを求めて行きます。
そしてイザヤを通して守りの約束が与えられて、37章の後半で天使が一夜にして敵を滅ぼして行きます。信仰は、合理的に信じられるから信じるのではありません。信じられないことを信じることによって神さまの約束があなたの元に顕されるのです。
ところが一難去ってまた一難で、ヒゼキヤ王は重病にかかってしまいます。36,37章の戦いがヒゼキヤ王の14年目で、即位期間が29年、病が癒されて15年生きると約束されていたので、彼の病に襲われたのは、アッシリアとの戦いからあまり時間がたっていなかったと考えてよいでしょう。ストレスが続いたため重病になったのかもしれません。神さまは守ってくださると約束されていたとしても、次々に苦しみはやってきます。39歳の王は、神さまに癒しを求めて15年のいのちの約束を受けます。
そして39章の木曜日と金曜日の学びの失敗をしてしまうのです。緊張や苦しみが続いて、そこから解放されると心の隙間にサタンが働きます。また褒められたりすると、神さまが与えてくださったからこその祝福を、自分の栄誉としてしまう弱さをもっていますね。聖書がくりかえし謙虚であれと勧めるのはそのためです。そうならないために毎日の祈りとみことばから聴くことが大切なのです。そしてサタンは全力で、このような習慣をおろそかにするように人間を誘惑するのです。