安息日学校部

20210104安河内アキラ解説

2021年第1期「イザヤ―わが民を慰めよ」

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第4課  厳しい道 1月23日

 

暗唱聖句
「わたしは主を待ち望む。主は御顔をヤコブの家に隠しておられるがなおわたしは、彼に望みをかける。」
イザヤ8:17

                                           

今週の聖句
イザヤ7:14~16、イザヤ7:17~25、イザヤ8:1~10、イザヤ8:11~15、イザヤ8:16~22

                                           

今週の研究  神は、イザヤの言葉だけでなく、彼の行動や家族を通して、警告と希望のメッセージを強くお示しになりました。唯一の安全な道は、すべてをご承知の上で、人の歩みに介入しておられる神に頼ることです。神は、私たちを愛し、守り、導く力をお持ちであり、神のために用いる用意のある者たちには、その力をお与えになります。この力以外の力に頼るとき、そこには失望、落胆があるのみです。

                                           

火曜日:なぜ希望があったのでしょうか。それは、アッシリアの激流がインマヌエルの地にあふれたとしても(イザ8:8)、彼らには、「神が我らと共におられる」(同10 節)という約束があったからです。これこそが、イザヤ書全体を貫くテーマです。ユダとその他の国々において、神の敵に裁きが下ることがあってもなお、戦禍や苦難、そして捕囚から彼らを救い出し、主は忠実な残りの民と共におられ、彼らに故国を回復してくださるのです。

                                           

水曜日:神を畏れるとは、宇宙を支配される最終的権威として、神を認めることです。真の畏れは、他のどんな恐れにも打ち勝ちます。それがあなたのためであるなら、神の許しなしには、だれ1 人あなたに触れることはできません。しかし、あなたが神に逆らい続け、ひとたび神があなたの敵になるなら、どんなに逃げても神から隠れることはできません。
恐れには種類があります。畏怖するほどの権力を持った人があなたの友人で深い信頼関係があるなら、あなたを傷つける相手としてその人に恐れを感じたりはしないでしょう。しかし、あなたがその人との信頼関係に不安を感じているとすれば、その人物への敬意は、ある種の恐れに変わるかもしれません。

                                           

木曜日:アハズ王は、異教の宗教と深くかかわっていました(王下16:3、4、10~15、代下28:2~4、23~25)。そして、これら異教の宗教は、神秘主義(オカルト)と非常に深く関わっていました(申32:17「彼らは神ならぬ悪霊に犠牲をささげ」、1 コリ10:20 と比較)。現代の多種多様な魔術は、聖書以外の古い文書からも明らかなように、古代中近東の習慣と驚くほどよく似ています。事実、今日のニューエイジ運動(新時代主義)の多くは、こうした古代の神秘主義的慣習の現代版とも言えるものです。
イザヤがここに描写している、主に頼らず、他の霊たちに頼ることの絶望的な結果は(イザ8:21、22)、まさにアハズ王に当てはまります(代下28:22、23と比較)。イザヤは、民は憤り、自分たちの王を呪ったと記しています(イザ8:21)。このことは、アハズ王が民を神秘主義に導いたことへの警告となったことでしょう。事実、アハズ王が死んだ時、その埋葬に際して、「その遺体はイスラエルの王の墓には入れられ」ず(代下28:27)、王にふさわしい敬意は払われなかったのでした。

                                           

今週は悪霊の働きと、最も大きな働きである心霊術について学びます。まず今週の暗唱聖句から学びましょう。この時代、先週も書きましたがアハズ王は神さまに従わなかった王でした。そのため「主が御顔を隠している」とありますが、ユダ王国にとっては外敵に攻められたり、苦しいことが続いていました。けれどもイザヤは、今は困難にあっても、わたしを救ってくださるのは神さまであると信仰を表明しています。これは今日のわたしたちでも同じではないでしょうか。毎日の歩みは決して良いことばかりではありません。様々な苦しいことが次々とやってきます。けれども、暗雲の上には太陽が輝いています。必ず、その雲がふり払われることを信じることが信仰なのです。

ホワイト夫人が書かれた、大争闘シリーズと言われる書簡は、善と悪との戦いが、天国において罪が始まった時から続いており、そのような視点からわたしたちに様々なことを教えています。この視点はとても重要です。悪魔はわたしたちを苦しめるために、強く大きな苦しみを与えることがあるでしょう。けれども気づかないうちに良い習慣から遠ざけようとしたり、不安を与えて別ものにすがるようにそそのかします。誰でも明日のことが心配になることがあります。そのような時に、心霊術など超自然的なものが「明日のことを教えてくれるから」と助けを求めるように誘惑されるのです。

このような誘いに「ただ教えとあかしを求めよ。」と死者の言葉ではなく、生きた聖書の言葉に光を求めるように、どんなことがあってもこの言葉に信頼をするようにイザヤは勧めています。わたしたちには、神さまのみことばが与えられています。けれどもそれに従うのか、別のものにすがるのか、決めるのはあなたです。神さまの顔が隠されているように思える時でも、神さまはあなたを見捨てることはありません。神さまの約束の言葉を信じて歩んでください。