第2課 指導者の危機 1月2日
今週の聖句
イザヤ6:1~4、イザヤ6:5~7、イザヤ6:8、イザヤ6:9~13
今週の研究
人間のリーダーシップの弱さが痛いほど明白な、この不確かな時代にあって、イザヤは宇宙の至高のリーダーであるお方のすばらしい幻を与えられました。欠点だらけで、ただ石のように立ちすくむしかなかった者であったイザヤは、憐れみによって清められ、力を与えられ、神の使者として敵の陣地に向かって前進する準備ができたのでした。
月曜日:エゼキエル、ダニエル、ヨハネが幻を受けたのは、捕囚となっている時でした(エゼ1 章、ダニ7:9、10、黙4、5 章)。イザヤと同様、彼らはみな、世界の混乱の中にあっても、神がすべてを支配しているという特別な慰めと励ましを必要としていました(ダニエルとエゼキエルは、自国を滅ぼした異教の国で捕囚となり、ヨハネは敵対する政治権力によって流刑に処されていました)。神からの幻が、このような危機的状況の中でも、信仰に留まるに十分な保証を与えたはずです。
「イザヤが、この主の栄光と威光の啓示を見た時に、彼は、神の純潔さと神聖さとに圧倒された。彼の創造主の無比の完全さと、自分も含めてイスラエルとユダの選民の中に長い間数えられていた人々の罪深い行いとの間には、なんと大きな相違があったことであろう」(『希望への光』505 ページ、『国と指導者』上巻271、272 ページ)。
火曜日:セラフィムの説明によれば、預言者の唇に触れることによって、彼の咎とがと罪は取り除かれました(イザ6:7)。唇は言葉だけでなく、それを語る人全体を象徴します。ここで、罪の種類は明記されていませんが、悪い言葉に限定する必要はありません。道徳的な清めを受けたイザヤは、晴れて神に聖きよい賛美を献ささげます。
火は不純物を焼き尽くすので、清めに用いられます(民31:23 参照)。しかしここで、セラフィムは祭壇の特別な聖なる火から取り出した炭火を用います。それは、神ご自身が灯した火であって、永久に燃え続けました(レビ6:5〔口語訳6:12〕)。セラフィムは、イザヤを清めると同時に、聖なる者としたのです。聖所または神殿での礼拝において、祭壇から炭火を取り出す主な理由は、香を燃やすことでした。レビ記16:12、13 では、大祭司が祭壇から取り出した炭火の入った香炉を取り、それで香に火をつけます。しかし、イザヤ6 章では、セラフィムは炭火を香にではなく、イザヤに触れさせています。ウジヤ王が自ら香をたくことを求めたのに対して、イザヤ自身が香になったのです。聖なる火が聖なる香りで神の家を満たすために香を燃やしたように、聖なるメッセージを宣べ伝えさせるために預言者の心を燃やしたのでした。イザヤ6 章の8 節以降で、神がイザヤを民のもとに遣わしておられるのは、偶然ではないのです。
木曜日:私たちが、イザヤが聞き違いをしたとか、あるいはこのメッセージがあまり重要でないなどと考えることがないように、イエスはこれらの聖句を引用して、ご自分がなぜたとえを用いて語るのかを説明しておられます(マタ13:13~15)。神は、だれ1 人滅びることを望まれません( 2 ペト3:9)。神がイザヤをユダの民に、またイエスをこの世に遣わされたのは、このためでした。神の願いは、滅ぼすことではなく、とこしえに救うことです。しかし、神の訴えに積極的に応答する人々がいる一方で、頑なに拒む人々もいます。それでも神は、彼らに悔い改める機会を与えるために、何度も何度も訴え続けられます。
モーセ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、そしてキリストのような牧者の役割は、たとえ民がメッセージを拒んだとしても訴え続けることにあります。神は、エゼキエルに言われました。「彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう」(エゼ2:5)。神とその僕たちの役割は、公平な選択の機会を民に与えることにあります。そうすれば、たとえ彼らが最終的に滅びと捕囚の人生を選ぼうとも(イザ6:11 ~ 13)、必要な警告を受けることはできるでしょう(エゼ3:16 ~ 21と比較)。
今週は、イザヤの召命の場面です。6章のはじめにウジヤ王の死んだ時とあります。ウジヤ王が神殿で祭司以外ができないことをやろうとして、主に打たれて病になったことは有名です。彼の働きについては、歴代志下26章に書かれています。彼は18歳で王位につき、52年間王として働きました。ウジヤ王は晩年の問題があったにせよ、主の良しとされることをした王でした。少し歴史を遡ってみましょう。歴代志下21章あたりから開いてみましょう。神さまに従った王であったヨシャパテ王が亡くなって、息子ヨラムが王となります。彼は神さまに従わず、8年で亡くなります。次の王のアハジヤは1年と短命です。アハジヤが死んで、彼の母アタルヤが他の王子を殺害して、7年間国の実権をにぎります。けれどもこの時殺害を逃れたヨアシが7歳で王位に着きます。この7年間も、○○の乱などという名前があったのかもしれません。ヨシャパテ王が死んで約20年、国では内乱が続いていました。けれども祭司エホヤダが中心となり神さまに立ち返って行きました。
ヨアシ王は40年間統治をしました。祭司エホヤダが死んでからは、神さまから離れてしまいましたが、比較的穏やかな時代でした。次のアマジヤ王は29年間統治をしました。彼も最初は主に従いましたが晩年は神さまに従わなかったため民に殺されています。そのあとの王がウジヤ王で52年統治をしました。彼も晩年にまちがいは犯しますが、主の良しとすることをした王でした。ヨアシが即位してからウジヤ王が退位するまで約120年間は、戦いもありましたが、比較的穏やかな時代でした。そしてこの後、ヨタム王は神さまに従って16年、次のアハズ王も16年統治しましたが、彼は神さまに従いませんでした。この次にヒゼキヤが王になります。ウジヤ王が死んでからヒゼキヤ王の時代が預言者イザヤの時代です。
話はもどりますが、ウジヤ王が亡くなりイザヤが預言者となった時、それはヨアシが王となって以降120年もの間の、比較的穏やかな時代でした。明治維新から昭和が終わるくらいの期間です。時代の転換点で、人々の心はこれからどうなって行くのだろうと不安になっていた時ではなかったでしょうか。
そのような時代に、イザヤは天の情景を見て、自分がいかに醜い存在であるかを悟らされました。けれども天使セラピムが天の祭壇の燃える炭を携えて彼を清めた時、彼は神さまの召命に応えたのです。自分の力ではなく、神さまによって清められたからこそ、神さまの働きの器として召される。それは、わたしたちも同じではないでしょうか。