安息日学校部

202101013安河内アキラ解説

2021年第1期「イザヤ―わが民を慰めよ」

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第13  惑星地球の再生 3月27日

 

暗唱聖句
「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。」
イザヤ65章17節

                                           

今週の聖句
イザヤ65:17~25、イザヤ66:1~19、イザヤ66:19~21、イザヤ66:21、イザヤ66:22~24

                                           

今週の研究
イザヤは、圧倒的なスケールで救いの情景を描写します。神は、その信仰の共同体を清め、そして回復されるだけでなく、その境界をすべての国々に広げられます。最終的に、神の共同体の再創造は、惑星地球全体へと広がり、神のご臨在がその民を究極の慰めとなります。

                                           

月曜日:神はここで、イザヤの筆を通して、この書全体に一貫して流れる〔悔い改めへの〕訴えと警告を繰り返しておられます。すなわち、神が霊の砕かれた人々、み言葉におののく人々を救い、回復されるということです(イザ66:2、5)。イザヤ40:1 にもあるように、神は彼らを慰められますが(イザ66:13)、神に反逆する者たちを滅ぼされます。この反逆する者には、神に忠実な者たちを憎み、拒む者たちと同じように(同5 節)、偽善的儀式に見られる神の拒まれる犠牲をも含みます(同3、4 節をイザヤ1:10~15 と比較)。さらに、かつてエルサレムの神殿で行われたような〔偶像崇拝や〕、異教の邪悪で忌まわしいことを行う者たちも含まれます(エゼ8:7~12、イザ66:17)。

                                           

水曜日:異邦人が高められるということは、ユダヤ人に、異邦人にも同じ報いを与える神は不公平な方だと不平を言う理由を与えはしません。それは異邦人にとっても、遅く雇われた労働者が早く雇われた労働者を見下すべきでないように、ユダヤ人の兄弟姉妹を軽視する理由にはなりません(マタ20:1~16)。ユダヤ人は、神の啓示のチャンネルとして、初めに「神の言葉をゆだねられた」のです(ロマ3:2)。パウロは、異邦人に次のように書いています。「しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたがたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、折り取られた枝に対して誇ってはなりません」(同11:17、18)。

                                           

木曜日:イザヤ書の最もすばらしい約束の一つであるイザヤ66:22 を注意深く読んでください。新しい天と新しい地で、私たちの子孫と私たちの名は永遠に続くのです。もはや消し去られることも、切り倒されることも、接ぎ木されることも、根こそぎにされることも、引き抜かれることもないのです。私たちには、新しくされた世界での永遠の命が約束されているのです。それは、罪も、死も、苦しみもない世界、新しい天と新しい地、私たちキリスト者信仰の最終的かつ完全な成就、キリストが私たちのために十字架で成し遂げてくださったことの完結を意味するのです。

                                           

今期の学びでは、イザヤ書の預言のスケールの大きさについて、この視点から学ばされました。

イザヤ書の時代はユダ王国の滅亡に向かう時代に書かれています。レビ記や申命記などで神さまに従う民は祝福されるが、神さまの声に聞き従わず、契約を守らないものにはさばきが与えられると預言されています。(レビ記26章参照) ユダ王国の衰退は、この預言の成就なのです。このように預言されているにも関わらず、従わなかったのは彼らがまちがった選びをしたためであり、神さまに問題があったわけではありません。人間がまちがった選びをした結果がユダ王国の衰退なので「あなたがたの責任なのだ」と神さまから突き放されても仕方がない状態ではないでしょうか。しかしイザヤ、エレミヤ、エゼキエルの預言はユダ王国の終盤から滅亡にかけて語られています。神さまから、遠く離れてしまったユダ王国の民に、神さまは預言者を通して、これだけ多くのメッセージを語っておられます。これが愛の神さまの姿ではないでしょうか。

そして今週は最後の65,66章を学びます。65章は天国についての預言が書かれています。わたしも子どもの時から聞かされていた預言です。イザヤ書は、神さまに従わないユダ王国やまわりの国々へのさばきが書かれています。けれども彼らを救うために救い主キリストをこの世に遣わし、そして天国を用意してくださると約束されています。

そこまで神さまはしてくださいます。その神さまに対してわたしたちは何をしたら良いのでしょうか。「これらはすべて、わたしの手が造り/これらはすべて、それゆえに存在すると/主は言われる。わたしが顧みるのは/苦しむ人、霊の砕かれた人/わたしの言葉におののく人。 」イザヤ66章2節。謙遜で、神さまの言葉に従うことです。イザヤは神さまが大きな愛を注いでくださっていることを預言を通して語っています。その愛は今も変わりません。そしてわたしたちがその声に応えて従うことも変わらないのです。神さまは最後に罪に勝利されて、この世界を新しく造り変えてくださいます。そのすばらしい天国にわたしたちは招かれているのです。