安息日学校部

202101011安河内アキラ解説

2021年第1期「イザヤ―わが民を慰めよ」

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第11  行動する愛 3月13日

 

暗唱聖句
「飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。」
イザヤ58:10

                                           

今週の聖句
イザヤ55:1~7、イザヤ55:6~13、イザヤ58:1~12、イザヤ58:13、14

                                           

今週の研究
イザヤ55 章と58 章で、イザヤは、彼らの思いと道を捨て、神に立ち帰るように訴えます。神の彼らの幸福のための思いは、彼らの思いをはるかに超えて高いからです。神は、神が憐れみをもって赦されたように、赦された者も憐れみ深くあることをお求めになります。それは贖罪の日と安息日の精神とも調和するものです。なぜなら、神の赦しという賜物は、それが真実に受け入れられるなら、心をつくり変えるからです。

                                           

火曜日:イスラエルの民は、主が自分たちの「信仰深さ」を喜んでくださると期待したようですが、当然、彼らの断食は、その本来の意味とは全く裏腹のものでした。贖罪日に行われる自己否定の行為は、神に対する感謝と忠誠心を表すためでした。大祭司はこの日に、聖所を清めるために神のみ前に出るのであり、それはすでに赦されている罪から彼らを清めるためでした(レビ16 章を4 章と比較)。その行為は、裁きの日に彼らを救ってくださった神に対する感謝と謝恩のしるしとして行われるべきであり、彼らの「信心深さ」や「献身」を神に認めていただくためではないのです。結局のところ、神の聖所を汚していたのは、主の民のそのような罪だったのです。汚された聖所は、血をもって清められなければなりません。そして、その血は彼らの行い〔罪〕のために流されるのでした。

                                           

水曜日:だれでも宗教的にはなれます。だれでも決められた時間に、決められた形式に従って、決められた儀式を行うことさえできるかもしれません。しかし、主はそれ以上のことを求めておられます。イエスの生涯を考えてください。イエスは当時の宗教儀式に忠実でしたが、福音書記者はなぜ、イエスの儀式に対する忠実さではなく、貧しい人々のためのイエスの憐れみ、いやし、パンの奇跡、それを必要とする者たちへの赦しに、これほど多くの紙面を割いたのでしょうか。
主は、福音を世に伝える教会、福音を世に伝える民を求めておられます。人々をイエスにある真理に引きつけるものは何でしょうか。食べ物に関する律法に厳格に従うことでしょうか。それとも、空腹の人を喜んで助けることでしょうか。安息日を厳格に守ることでしょうか。それとも、自分の時間と労力を割いて困っている人々を助けることでしょうか。

                                           

木曜日:イザヤ58 章は、自己否定、社会に奉仕する親切心、安息日という三つの主要な主題を扱っています。これらは互いに、どのように結びついているでしょうか。
第一に、3つとも、自分でなく神に心を向けること、神を第一にすること、そして私たちは神に依存する存在であることを認めることを含みます。第二に、人間はこれら3つすべてを通して、神がそうであられるように聖さを求めるのです(レビ19:2)。キリストは、おのれをむなしくして人間の姿になられ(フィリ2:8、口語訳)、自己犠牲の親切心〔愛〕を行動によって示し(ヨハ3:16)、そして創造週の終わりに、その働きを終えて安息日にお入りになったのです(創2:2、3、出20:11)。

                                           

聖書はわたしたちが幸せに生きるための秘訣が書かれている書物でもあります。何回も書いていますが、神さまは創造者です。創造された方が、人間がどのように生きれば幸せになれるのかについては一番よくご存じなのです。

そして聖書は、まず最初にその神さまが自分がどんな方なのか、わたしたちにわかる言葉で語ってくださっています。創造された神さまであること、その神さまがわたしたちを愛してくださっていること、天国への道を開くためにイエスさまを送ってくださることなどを、イザヤ書の40章以降にも書かれています。

その次に必ず書かれているのは、その神さまに信頼して従うことを選ぶのか、それとも他のものを信じるのか、決めるのはわたしがすることなのです。そしてその次に、神さまに従ったわたしたちがどのように生きたらよいのかを教えています。それが今週の学びです。その後に天国の約束が続きます。これはまた来週以降に学びます。

今週の暗唱聖句は、わたしたちがいかに生きるかについて教えています。残念ながら天国がやって来るまで、苦しみはなくなりません。あなたがたのまわりにいる苦しみの中にある方たちのために、あなたのできることをするように勧められています。日曜日の聖書研究ガイド本文に書かれていますが、わたしたちは無償でいのちが与えられ、生きるために必要なものが備えられています。それは神さまが、わたしたたちを通して困っている人々を助けるように働くためなのです。わたしひとりですべての人々の苦しみを背負うことができませんが、あなたのまわりにいる誰かを助けて心を配ること、そのような生き方を通して神さまの愛が伝わるのではないでしょうか。

そして今週の学びの後半は、断食と安息日について書かれています。大切なことは、なぜ断食をして安息日を守るのでしょうか。これらが目的になってしまうのではなく、断食や安息日を遵守することで、まことの神さまと正しい関係を保つことが重要になるのです。この稿でも何回も書いていますが、神さまのなさることについてわたしたちがどんなに詮索をしても知ることはできません。それは神さまがお決めになることなのです。けれどもわたしが今やらねばならないことは、だれもかわりをしてはくれません。正しい神さまとの関係を通して、今やらねばならないことについて、神さまからの声が聴こえてくるのではないでしょうか。