安息日学校部

20210101安河内アキラ解説

2021年第1期「イザヤ―わが民を慰めよ」

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第1課  アイデンティティの危機 1月2日

 

暗唱聖句
「論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/ 羊の毛のようになることができる。」 イザヤ1:18

                                           

今週の聖句
イザヤ1:1~9、イザヤ1:10~17、イザヤ1:18、イザヤ1:19~31、
イザヤ5:1~7

                                           

今週の研究  神は、ユダの民の契約違反の罪の確かな証拠を挙げて(イザ1:2 ~ 15)、彼らに改革を迫ります(同16、17節)。この訴えは、彼らにまだ希望があるからでした。しかし、神が「論じ合おうではないか」と言われるとき(同18節)、私たちは、主がなおも、彼らがどんなに堕落していようとも、ご自分の民と論じ合い、彼らを悔い改めと回心に導こうとしておられることを知るのです。

                                           

序 言:さて、私たちは、このように雄弁で、詩的で、心を揺さぶるような力強いイザヤの言葉を知っていますが、イザヤという人物と、彼が書き、祈り、預言した時代背景については、どれほど知っているでしょうか。残忍なアッシリア帝国がその権力の頂点に達した時こそ、この帝国の崩壊の危機でした。さらに悪いことに、選民であるユダ王国の民は、かつてないほどに道徳的な力を失っていました。

私たちは今期、イザヤとイザヤ書、その書かれた時代、彼が置かれた苦境について学んでいきますが、その多くは彼の神、今日もそうであるように、当時も神の民に向かって「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」(イザ43:1)と大声で叫び求められる神について学びます。

                                           

日曜日:イザヤ書は、その著者(「アモツの子」)、メッセージの出所(「幻」)、主題(4人の王の時代のユダとその首都エルサレム)について、手短に紹介しています。イザヤの主な聴衆は、彼が生きた時代の自分の国であるユダの人々です。イザヤは、彼らの状態と運命について語っています。

イザヤが預言者として活動した期間に国を治めた王たちの名前を記すことによって、イザヤは聴衆を限定し、本書を特定の期間の歴史的・政治的諸事件に結びつけています。その期間は、列王記下15~20章と歴代誌下26~32章に示されている時代です。

                                           

火曜日:ここに、ご自分の民に対する神の厳しい警告の目的が示されています。それは神の民を拒むためのものではなく、むしろ彼らを神のところに連れ戻すためのものです。神の赦しの申し出は、民に自らを道徳的に清めるようにと迫る神の訴えです(イザ1:16、17)。神の赦しは、その民が神の力によって造り変えられるのを可能にします。ここに、エレミヤ31:31~34に預言されている「新しい契約」の始まりを見ることができます。新しい契約においては、赦しが、新しい心をつくる神との関係の土台となるのです。私たちは、決して返済することのできない負債を負ったまま出発するのです。謙虚に赦しの必要を認めるときに、神が与えてくださるあらゆる祝福にあずかる準備ができるのです。

                                           

木曜日:私たちが罪を犯しても、神はみ守りを取り去って滅びるままにし、私たちをすぐにご自分から切り離されることはありません。神は忍耐強く、私たちが神の赦ゆるしを受け入れるチャンスをお与えになります(2 ペト3:9参照)。神は、ご自分の訴えに応える人を切り捨てることはありません。人の中に応答の望みがある限り、訴え続けられます。神は、私たちの「いいえ」をそのまま受け取られません。なぜなら、私たちが無知で、罪によって欺かれていることをご存知だからです。しかし、もはや応答の余地はないと見ると、神は最終的に私たちの選択を認めて、私たちが選んだ道を行くままにされます(黙22:11参照)。聖霊を通して聞こえる神の訴えを頑なに拒み続けるなら、私たちは結局、戻れない一線を越えることになります(マタ12:31、32)。キリストから離れることは、危険です(ヘブ6:4~6)。神がどうしてもおできにならないことがあるのは、私たちが自由な意思で選択することを尊重されるからです。

                                           

今期はイザヤ書を学びます。イザヤの時代については掲載した日曜日の引用文をご覧ください。ユダ王国の中期、ヒゼキヤ王などが活躍した時代の預言者です。また序言の中にも書かれていますが、イザヤの預言があまりに詳しく正確なので、その部分は後から書かれたと考える、第二イザヤの存在を教えている教会が多くあることも事実です。けれどもわたしたちは第二イザヤの存在は認めていません。なぜならば預言だったら、それは成就して当然だからです。わたしたち、この神さまからイザヤを通して与えられた、神さまの預言について今期は学びます。

旧約聖書の預言書を読んでいると、神さまはくりかえして預言者を送って、イスラエルやユダの民に悔い改めて帰ってくるように招いています。ここまで待っていてくださる、神さまの深い愛が伝わってきます。けれどもどんなに語りかけられても、わたしたちがその光に応えて神さまのもとに戻らなければ、神さまの愛に応えることにはなりません。

わたしたちと神さまの関係をしっかりと結ぶ必要があることは、昔も今も変わりません。特に現代においてサタンは静かに、気づかないように働きかけてきます。今期の学びを通して、神さまがあなたに語りかけている声を聞くだけでなく、正すべきことがあったら、ぜひ預言の言葉を行ってください。