安息日学校部

20200407安河内アキラ解説

2020年第4期「教育―天国に備える教育」

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第7課  教育における礼拝 11月14日

 

暗唱聖句

御名の栄光を主に帰せよ。供え物を携えて御前に近づき/聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。                  歴代誌上16:29

                                           

今週の聖句

ダニエル3 章、黙示録14:6~12、詩編78:1~17、ヨハネ4:7~26、
歴代誌上16:1~36、マルコ7:1~13

                                           

今週の研究
礼拝は人間の一部であり、堕落してはいるものの人間性の一部です。疑いもなく、私たちは、神から与えられた自由によって主を礼拝する存在として創造されました。なぜなら、私たちは主を愛しており、礼拝に値するお方であることを知っているからです。
このように、礼拝はクリスチャンの体験にとって極めて重要なものなので、キリスト教教育は、今週の研究の主題でもある礼拝の問題を扱わなければなりません。

                                           

日曜日:私たちの中には、礼拝することを切望する何かがあります。疑いもなく、それは神によって私たちの中にもともと埋め込まれたものですが、ほかのあらゆるものと同様、罪によってゆがめられてしまいました。明らかに、私たちは最初、礼拝を受けるに値する方、私たちの主なる創造主を礼拝しなければなりませんでした。しかし罪に堕ちてからというもの、このことはすっかり、しかも大きく変わってしまいました。

                                           

火曜日:同時に、礼拝は「真理をもって」なされなければなりません。私たちは、神について、神がどのような方であるかについて、神が私たちに何を求めておられるかについて、正しい知識をいくらか持っていなければなりません。言い換えれば、教理も伴うということです。例えば、私たちが礼拝する方は、人々を地獄の火で永遠に焼くような神ではないと知ることは、なんと意義深いことでしょう。
このように、私たちは礼拝に関する二つの要素をここに見ます―神を知り、神に従うことによってもたらされる経験と、神について私たちに啓示されている客観的真理の二つです。真理のない霊は、何よりも気まぐれな感情に基づく浅はかな感傷的傾向をもたらすことがあり、一方、霊のない真理は、死んだような形式主義をもたらす可能性があります。それゆえ、私たちは両方を必要とします。

                                           

水曜日:礼拝の場所は天幕でした。そこは、神が古代イスラエルとともに住み、救済計画が彼らに啓示されていた場所です。従って、礼拝と礼拝教育の中心を成すべきものは、イエスと救済計画であり、それらすべてが天幕の礼拝の中に予示されていました。賛美と礼拝を受けるに値することを神がほかにもしてくださったにしろ、十字架におけるイエスの犠牲的身代わりの死によって私たちに与えられる永遠の命の希望がなければ、すべては何の意味もありません。

また、「伝道的な」趣旨の言葉にも注目してください―全世界はイスラエルの神について知るべきでした。

                                           

今週は、礼拝について学びます。礼拝とは何でしょうか。牧師をしていると説教を語る時と考えてしまいますが、説教は牧師の聖書講義ではなく、神さまの声を伝える時間なのです。決して言い訳をするわけではありませんが、わたしは通常の牧師とは異なり、日中は施設の責任者としての業務があります。その合間を見ながら説教を作ります。当然、教会牧師をしていた時よりも説教準備のための時間を割くことができません。けれども不思議なことに、祈りつつ準備をしていると、いろいろな聖書の言葉に出会わせていただきます。神さまがわたしに語りかけてくださったり、示してくださっていると信じられることが多々あります。

先日、シャロームの草創期から働いている職員が「シャロームは神さまに守られているから、ここまで働きを続けることができました。心からの祈りがあったからです」と話してくれました。福祉の働きをしていると、いろいろなことが起こります。それはみなさん人生も同じでしょう。神さまの助けがなければ乗り切れないことがたくさんあります。だからこそ、助けを求めて祈ります。

礼拝は、その神さまに心から信頼しているからこそ、教会に集まるのではないでしょうか。そこで感謝をして讃美をして、神さまの声を聞いて、またそれぞれの場所へ帰って行くのです。それは神さまから光を受けて、それぞれの場所へ派遣されて行くのです。

「主よ、わたしは心をつくしてあなたに感謝し、もろもろの神の前であなたをほめ歌います。 」詩篇138:1 礼拝のかたち、内容以上に大切なのは、あなたが心から神さまに従っているか、そこではないでしょうか。