第2課 家族 10月10日
暗唱聖句
「わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。」
箴言1:8
今週の聖句
創世記3:1~15、Ⅱコリント4:6、ルカ1:26~38、マタイ1:18~24、エフェソ4:15、Ⅰヨハネ3:18、申命記6 章
今週の研究 人類史のほとんどの時代において、教育はたいてい家庭で行われました。とりわけ、幼少期にはそうでした。家庭での教育について、聖書は何と言っていますか。私たちの家庭の状況がどうであれ、聖書の言っていることから、どのような原則を得ることができるでしょうか。
日曜日:キリスト教教育は、教理、礼拝、教訓、交わり、伝道、奉仕などについて家庭や家族に教える取り組みです。家庭は、神の愛と約束について、あなたが家族に伝える場所であり、イエスを子どもたちに、彼らの主、救い主、友人として紹介する場所、神の言葉として聖書を支持する場所です。そして家庭は、天の神との健全な関係がどのようなものであるかを、あなたが模範となって示す場所なのです。
創世記4:1 ~ 4 では、カインとアベルがいずれも主に献ささげ物を持って行きます。彼らは、救済計画に関する家庭教育の一環として、献げ物の意味と重要性について学んでいたと、間違いなく推測できます。当然ながら、歴史が示すように、良い教育が期待する結果をもたらすとは、必ずしも言えません。
水曜日:クリスチャンの親は、自らの振る舞いによって、キリストと教会の聖書的手本となる道徳的義務を負っています。結婚関係は、キリストと教会の関係にたとえられます。もし親が指導することを拒否したり、あるいは暴君的な仕方で指導したりするとき、彼らは自分の子どもやこの世に、キリストの誤ったイメージを伝えているのです。神はすべてのクリスチャンの親に、自分の子どもを熱心に教えるよう、命じておられます(申6:7 参照)。親には、心を尽くして主を愛すように教える責任があります。主を畏れ、愛情にあふれた思いで心から主に献身し、服従することを教えなければなりません。
木曜日:イスラエルの民が子どもたちに教えるべきあらゆることの中心は、神が彼らの中でなさったすばらしい働きでした。そしてまた、神が彼らのためにしてくださったことを忘れてはならないという警告も、非常にはっきり与えられました。言うまでもなく、親が聖書の教えを子どもたちの生活の中に組み入れるという最も重要な役割を果たしたいのであれば、親は十分な知識を身につけ、子どもと過ごす十分な時間を持てるように、自分自身の生活を組み立て整える責任があります。
「子供にとって最初の教師は母親である。最も感受性が強く、最も進歩の早いこの期間における子供の教育は大部分母親の手に任されている」(『教育』324 ページ)。この期間は、神の愛と約束について、親が子どもたちに伝える最も重要な時期です。神の知恵と約束を子どもたちに直接教えるため、定期的に決められた時間を指定するなら、何世代にもわたって良い影響を家族に与えられるでしょう。
今週は、家庭による教育について学びます。幼児期は家庭において教育がされることが重要なのは、ほんとうによくわかります。かつて幼稚園で働かせていただきましたが、4月生まれと早生まれのことの差は、とても大きいです。子どもによって成長のスピードもちがいます。特に幼児期はその差が大きいような気がします。無理をして入園させなくても、と思いながら受け入れていたことを思い出します。ましては財界の要請で、働く人が足りないからと1歳に未満からも保育園に預けさせようとしている今の政策は、子どもや家庭のためには決して良い影響は与えないと思います。
今週の学びながら、親としての自分の働きの不十分さを、心の中では娘にわびながらの一週間でした。大人は子どもを育てることによって成長して親にしてもらうのだと思いますが、子どもは親を選べません。けれども神さまが、その子をわたしたちの家庭に与えてくださった、このことを信じて親として歩むしかありませんね。
今週、親としてどのような教育をすべきかについて書かれていますが、その中で一番大切なのは「神さまがわたしにしてくださったすばらしいできごとを子どもにも伝えること」ではないでしょうか。聖書を道徳の本として、良いことをすることの理由づけや後ろ盾に使うことによって、子どもたちが聖書をきらいになってしまいます。良いことをしたら、将来のためになるというのは大人の視点です。子どもたちに聖書を通して語られている神さまの愛について語るようにしたいものです。