安息日学校部

20200302安河内アキラ解説

2020年第3期「神のためにたくさんの友人をつくる」

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第2課              人を引きつけるあかし人     7月11日
—- 個人的なあかしの力 —-

 

暗唱聖句
「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」
使徒言行録4:20

                                           

今週の聖句
マルコ5:15~20、マルコ16:1~11、使徒言行録4:1~20、Ⅰヨハネ1:1~3、ガラテヤ2:20、使徒言行録26:1~32

                                           

今週の研究
個人的なあかしには、並外れた力があります。私たちの心がキリストの愛によって温められ、私たちが彼の恵みによって変えられるとき、彼について語るべきすばらしいことが私たちにはあります。イエスがだれかのためになさったことを伝えるのと、彼が私たちのために個人的にしてくださったことを伝えるのとでは、大違いです。

                                           

日曜日:デカポリス地方全体に彼のあかしを伝えることのできる人として、このつくり変えられた元悪霊つきの男以上にふさわしい人物がいるでしょうか。「キリストの証人として、われわれは、知っていること、自分が見、聞き、感じたことを語るのである。もし1 歩1 歩イエスに従ってきているならば、われわれは、イエスがわれわれをみちびかれた道について何か要点にふれたことを語ることができるのである。イエスの約束を試みて、その約束が真実であったことを語ることができる。キリストの恵みについて知ったことをあかしすることができる。これこそ主が求めておられるあかしであって、このあかしが欠けているために、世の人々は滅びつつあるのである」(『希望への光』845 ページ、『各時代の希望』中巻66 ページ)。神は、恵みによって変えられた、思いも寄らぬあかし人をしばしば用いて、私たちの世界に変化をもたらされるのです。

                                           

水曜日:あかしというのは、自分について話をすることではありません。それは、いつでもキリストについて話すことです。キリストは、私たちの罪を赦ゆるし、病をいやし、慈しみの冠を授け、良いもので満ち足らせてくださる神です(詩編103:3~5)。あかしとは、キリストのすばらしい恵みに関する私たちの物語を単純に話すこと、すばらしい恵みの神と私たちが個人的に出会ったことの証言なのです。

ヨハネとパウロは異なる人生経験をしましたが、いずれもイエスと個人的に出会っています。イエスとの彼らの経験は、過去のある時点で起こり、そこで終わってしまうような経験ではありませんでした。それは、イエスの愛を喜び、その真理の光の中を歩む継続的な日々の経験でした。
回心は、過去のものにすぎないのでしょうか。過去の回心の体験だけが大切だと思っている人たちについて、エレン・G・ホワイトは次のように述べています―「あたかも彼らは、一度宗教について知ったなら、日々、回心する必要
がないかのようだった。しかし私たちは、だれもが、毎日回心しなければならないのである」(『原稿集』第4 巻46 ページ、英文)。

                                           

木曜日:イエスが自分の人生をどのように変えたのかというパウロのあかしは、神を信じない王に大きな衝撃を与えました。変えられた人生ほど、効果的なものはありません。本当に改心した人生のあかしは、ほかの人に驚くほどの影響を及ぼします。神を信じない王でさえ、恵みによってつくり変えられた人生に心を動かされるのです。たとえ私たちには、パウロのような劇的な物語がないとしても、イエスを知ることの意味、彼の血によってあがなわれることの意味を、ほかの人に語ることができるはずです。

                                           

今週は、力のあるあかしについて学びます。力のあるあかしの秘訣は、自分のことと鮮度です。自分が体験した良かったことは、まわりに伝える時に力強く、説得力があります。人から聞いた、こんな良いことがあるという話しをだれかに伝えることはありますが、自分の経験ほど力強いことはありません。わたしはクリスチャン二世です。キリスト教に出会って、劇的な改心をしたという経験はありません。そのような経験を聞かされると、うらやましく思ったことはありました。けれども生きた神さまとの出会いは、改心の時だけでしょうか。ほかにも神さまがわたしための働いてくださった、語りかけてくださったことがあります。このような喜びが、あかしとなって行くのです。

数年前、教会で聖書通読を訴えました。実際に通読された方が、みことばから光を受けて、とても喜ばれて笑顔であかしをされたことを忘れません。人生を変えるほどの経験でなくても、神さまから語りかけられた経験など、毎日の歩みの中にも、たくさんのあかしがあり、それを聞いた方が励まされて行くのです。

次に鮮度です。さっきそこで見てきたの!などという証言は一番力がありますよね。何十年も前の改心のあかしを、聞くことがあります。それは本人にとっては大切な出会いでしょうが、それ以降は何もなかったのでしょうかと考えてしまいます。今週、あなたがみことばの中で示されたこと、その喜びが今のあなたに必要な導きなのです。その声に励まされて前進をして、道が開かれる経験をした、このような導きのあかしは、きっとみなさまのご経験にもあると思います。このように神さまがあなたとともにいてくださった、その経験をあかしすることが、個人的なあかしなのです。