第13課 神の言葉によって生きる 6月27日
暗唱聖句
「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」 ヤコブ1:22
今週の聖句
フィリピ2:12 ~ 16、ルカ4:4、8、10 ~ 12、詩編37:7、46:11(口語訳46:10)、62:2、3、6(口語訳62:1、2、5)、コロサイ3:16
今週の研究
聖書研究の最上の方法も、もし私たちが聖書から学んだことに従って生きようと決心しなければ、まったく役に立ちません。教育全般に当てはまることは、とりわけ聖書研究にも当てはまります。
私たちは今週、神の言葉によって生きるとはどういうことか、神の権威の下で生きるとはどういうことかを研究します。
日曜日:神の言葉を注意深く、適切な方法で研究することは、極めて重要です。聖書研究の目的は、私たちが神の言葉を使いこなすことではなく、神の言葉が私たちを使いこなす(服従させる)こと、つまり私たちの生き方や考え方を変えることです。私たちが学んだ真理を自ら進んで生きるというのは、聖書の真理に喜んで従うことを意味します。私たちは、だれが私たちの思考や生活における支配権を握るかを巡って戦っています。そして最終的に、私たちが付くべき側は神様の側かサタンの側の二つしかありません。
水曜日:私たちの生活は多忙で、緊張とストレスにあふれがちです。私たちは、自分を幸福にし、満足させるだろうと思う物を欲しがります。しかし、ソロモンはコヘレトの書の中で、必ずしもそうはならない、と私たちに警告しているのです。
理由はどうであれ、私たちは生活においてひどく忙しくなり、その忙しさの中で、いとも簡単に神を締め出してしまう可能性があります。それは、私たちが信じていないからではなく、私たちが聖書を読み、祈り、「あなたの命……を手中に握っておられる」(ダニ5:23)主に近づくことで、充実した時間を過ごさないからです。私たちはみな、救い主なるお方、イエスと会うために、スピードを意図的に落とす時間を必要としているのです。私たちが立ち止まって聞かなければ、聖霊はどうやって私たちに語りかけることがおできになるでしょうか。御言葉を読み、祈りによって交わり、神と特別に過ごす静かな時間は、私たちの霊的生活の源です。
木曜日:聖句を暗記することは、何倍もの祝福をもたらします。聖書の貴重な言葉を心に蓄えるとき、私たちは暗記されたことに命を吹き込み、それを新しい、変化する状況の中で生かすことができます。そのようにして、聖書は私たちの思考や決定に直接影響を及ぼし、私たちの価値観や行動を左右します。聖句を暗記することは、日々の経験の中で聖書を現実のものにし、さらに、私たちが神を礼拝し、聖書に従って忠実な生活を送るうえで助けになるのです。
聖句を1語1語覚えることは、欺きや偽りの解釈に対するすばらしい予防策です。聖句を暗記することで、聖書が手に入らないときでさえ、私たちは聖句を引用することができます。これは、誘惑が生じたり、逆境に直面したりするような状況において、善を行うための大きな力になります。神の約束を思い出し、心を問題に集中させるのではなく、神の言葉に集中させることで、私たちの思いは神へ引き上げられるのです。その神は、私たちが八方塞がりに思えるときにも、助ける手段をたくさん持っておられます。
今週の暗唱聖句はヤコブの手紙1章22節です。ヤコブの手紙では、くりかえし信じているならば行いが伴うものと教えています。今期の学びでは、聖書を解釈という表題で学びましたが、わたしたちが聖書をどのように相対するのか教えられましたね。聖書を解釈することで確信が深まります。そして信じたら、その言葉を信頼して教えられたことを実際に行います。良いことが書いてあるからと聖書を高いところに飾っても、その言葉を実行しなければ意味がありません。
そしてその言葉に従うということは、その言葉を告げた方の権威に従うことです。マタイ8章に記録されている百人隊長のように、神さまの言葉の権威に従っていたら、どんな時にでも信頼することができます。
さて、スティホームの期間、わたしは特に安息日に聖書とあかしの書をしっかりと読むことができました。幸い?この時期にテレビが故障してしまい、テレビも見なくなったので、平日も帰宅してから聖書をたくさん読みました。そしてそこからいつも以上に光を受けました。このような時期だったので、余計に感じることが多かったのかもしれません。そしてこれはすばらしい習慣だから続けて行こうと考え継続して来ました。けれども数ヶ月が過ぎていくうちに、徐々にさまざまなかたちで良い習慣が崩れて行きつつあります。悪魔は、気づかないうちに、わたしたちが神さまの言葉から離れるように仕向けます。また信頼を失うように、いろいろなものを用意しているのです。今期の学びを終えるにあたり、あなたが神さまの言葉からいつも光を受けているかどうか、そしてこの言葉に従っているかどうか、もう一度考えてみましょう。