安息日学校部

20200113安河内アキラ解説

2020年第1期「ダニエル書」

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第13課 塵から星へ 3月28日

暗唱聖句    目覚めた人々は大空の光のように輝き

多くの者の救いとなった人々は

とこしえに星と輝く。 ダニエル12:3

                                           

今週の聖句   ダニエル12 章、ローマ8:34、ルカ10:20、ローマ8:18、

ヘブライ2:14、15、ヨハネ14:29、黙示録11:3

                                           

今週の研究   ダニエル書は、ネブカドネツァルがユダに侵攻し、捕囚をバビロンへ連れ去ったところから始まり、それとは対照的に、ミカエルが終末時代のバビロンから神の民を救うために立ち上がるところで終わっています。つまり、ダニエル書全体で示されているように、最後に、まさに最後の最後に、神は御自分の民の益となるようにすべてを解決してくださいます。

                                           

日曜日:ミカエルの働きの二つの重要な側面は、彼の行動を説明するためにダニエル12:1 で用いられている「立つ」という動詞から推測することができます。第一に、この「立つ」という動詞は、征服し、支配する王たちの台頭を連想させます。またこの動詞は、元来、軍事的な意味を含んでいます。大争闘の最終段階において、ミカエルが神の民を守り導く軍事的指揮官の役割を果たすことを示しているのです。
第二に、「立つ」という動詞は、裁きの場をも指し示しています。ミカエルは、天の法廷で仲裁人としての役割を果たすために立たれるのです。人の子として、彼は調査審判の間に神の民を代表するため、「日の老いたる者」の前に出てくださいます(ダニ7:9~14)。このように、ミカエルが立つことは、彼の働きの軍事的側面と司法的側面を連想させます。言い換えれば、ミカエルは、神の敵を打ち破る力と、天の法廷で神の民を代表する権威を授けられているということです。

                                           

月曜日:しかし、神の民はこの過酷な時期に救われるでしょう。なぜなら、天の法廷における調査審判で、彼らは天の大祭司であられるイエスによって正しさを立証され、彼らの名前がその書に記されているからです。この書の意味を理解するためには、聖書が二種類の天の書について言及していることを心に留めておかねばなりません。一つは、主に属する人たちの名前を収録しており、時として「命の書」と呼ばれています(出32:32、ルカ10:20、詩編69:29、フィリ4:3、黙17:8)。

命の書に加えて、聖書は、人間の行為を記録した書についても触れています(詩編56:9、マラ3:16、イザ65:6)。これらの書が、主に対するすべての人の献身を判定するために天の法廷で用いられます。これらは、すべての人間の名前と行為を含む天の記録、「データベース」なのです。天に自分の名前と、とりわけ自分の行為が記されているという考えに、眉をひそめる人もいます。しかし、私たちがひとたびキリストに献身し、私たちの名前が命の書に記されるなら、私たちの悪行は裁きの中で削除されます。この天の記録が、全宇宙に対して裁判上の証拠を提供するのです。それは、私たちがイエスに属しており、それゆえ困難な時期に守られる権利があるという証拠です。

                                           

木曜日:ほかの二つの期間は1290 日と1335 日で、これらは、ダニエルが麻の衣を着た人にぶつけた質問(「これらのことの終わりはどうなるのでしょうか」)への答えです。そしていずれの期間も、「日ごとの供え物」が廃され、「憎むべき荒廃をもたらすもの」が立つときに始まります。私たちはダニエル8 章の研究(第9課)で、「日ごとの供え物」がキリストの継続的な執り成しを指し、それが偽りの礼拝制度に置き換えられたことを学びました。

このように、この預言的期間は、フランク王クロビスがカトリック信仰に改宗した西暦508 年に始まるはずです。この重要な出来事が教会と国家の結合の道を開き、それが中世を通じてずっと権勢を振るいました。こういうわけで、1290 日は1798 年に終わりました。この年、フランス皇帝ナポレオンの権威のもとで教皇が捕らえられたのです。

また、ダニエル書で言及されている最後の預言期間の1335 日は、1843 年に終わりました。それはミラライト運動と聖書の預言の研究が更新された時、差し迫ったイエスの到来を待ち望んだ時でした。

                                           

ダニエル書の学びも今週が最後です。今週はダニエル書12章について学びます。最初に注目したいのは4節と9節です。この言葉は「終わりの時まで封じられている」とあります。ダニエル書の預言から、今日わたしたちが光を得ています。これは今の時代が終わりの時代であるたしかなしるしです。そして再臨の前に、神さまを信じる民には、大いなる苦しみがあると預言されています。今期の学びを始める前に、このようにコロナウィルスが世界中で感染をして、多くの教会で礼拝ができない時が来ると、だれが考えていたのでしょうか。このように、突然何かが起こって、わたしたちが苦しみに遭うようになるかもしれません。これらは神さまがお決めになることなのです。今から約2000年前のキリストの十字架も、神さまは時を定めていましたが、弟子たちにとっては突然のことだったのです。けれどもその時を定めた神さまは、すべてに勝利されると預言は約束しています。今期の毎週のタイトルは、ダニエルの預言においては、すべて神さまが勝利すること教えているのです。

もう一つ、12章で神さまは人生の晩年を迎えたダニエルに「あなたの道を行きなさい」(12:9、13節参照)と語りかけています。終わりの時は、神さまがお決めになります。神さまがわたしたちに再臨までの時を与えてくださるのかはわかりません。しかし与えられた道で、わたしが今日できる最善を尽くす、これがダニエル書からわたしたちへのメッセージではないでしょうか。