安息日学校部

20200109安河内アキラ解説

2020年第1期「ダニエル書」

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第9課 汚れから清めへ 2月29日

暗唱聖句   彼は続けた。「日が暮れ、夜の明けること二千三百回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る。」ダニエル8:14

                                           

今週の聖句    ダニエル8章、ダニエル2:38、創世記11:4、レビ記16章、

ヘブライ9:23~28

                                           

今週の研究   ダニエル8章の幻は7章の幻と似ています。言葉や象徴が8章で変わっているのは、天の贖罪日との関連で、天の聖所の清めに焦点をはっきり合わせるためです。このように、ダニエル8章の際立った貢献は、天の聖所という側面に焦点を合わせていることです。ダニエル7章が天の法廷と王権を受ける人の子を示しているのに対して、8章は天の聖所の清めを示しています。二つの章の類似点からわかるように、8章で描かれている天の聖所の清めは、7章の裁きの場面と関係しているのです。

                                           

日曜日:ダニエル2章、7章と同様、ここには世界帝国の興亡に関するもう一つの幻が出てきますが、使用されている象徴は異なります。この象徴は、神の聖所と直接関係しています。ここでの場合、雄羊と雄山羊という象徴が用いられているのは、それらが贖罪日(古代イスラエルの裁きの時)の聖所の儀式とつながりがあるからです。雄羊も雄山羊も、聖所の奉仕においていけにえとして用いられました。しかし贖罪日においてだけ、両者は一緒に言及されています。それゆえ、これら二つの動物は、贖罪日を連想させるために意図的に選ばれているのであり、贖罪日がこの幻の主要な焦点なのです。

                                           

月曜日:小さな角が幻の中で主役になるにつれて、その垂直方向への伸張が細部にわたって注目されます。この点に関して小さな角は、次の比較が示すように、ダニエル7章の小さな角とよく一致しているのです。

①いずれの角も最初は小さい(ダニ7:8、8:9)。

②いずれものちに大きくなる(同7:20、8:9)。

③いずれも迫害する勢力である(同7:21、25、8:10、24)。

④いずれもうぬぼれが強く、冒瀆的である(同7:8、20、25、8:10、11、25)。

⑤いずれも神の民を標的にする(同7:25、8:24)。

⑥いずれもその活動が預言的時間によって説明されているという側面を持つ(同7:25、8:13、14)。

⑦いずれも終わりの時まで拡張する(同7:25、26、8:17、19)。

⑧いずれも超自然的な破滅に直面する(同7:11、26、8:25)。

⑨ダニエル7章の小さな角が教皇制をあらわすのだから、8章において小さな角が垂直方向に拡張することも同じ勢力をあらわしているに違いありません。

それゆえ、ダニエル2章、7章と同様、この最後の主要な勢力もローマ(異教ローマと教皇制ローマ)なのです。

                                           

火曜日:ダニエル8:11に「日ごとの供え物」という言葉が、地上の聖所と関連して登場しています。それは、(いけにえや執り成しを含む)儀礼的奉仕の多様で継続的側面を指し示すためです。罪人が赦され、幕屋で罪が処理されるのは、これらの奉仕を通してでした。この地上の制度は、天の聖所におけるキリストの執り成しの働きをあらわしています。それゆえ、預言どおりに、教皇制はキリストの執り成しを司祭の執り成しに換えました。そのような偽りの礼拝を利用して、小さな角はキリストの執り成しの働きを廃し、象徴的にキリストの聖所を倒したのです。

                                           

木曜日:「この幻……は、いつまで続くのか」(雄羊〔メディアとペルシア〕、雄山羊〔ギリシア〕、小さな角とその行動〔異教ローマと教皇制ローマ〕)という質問に対して、別の天の存在が答えます―「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」(ダニ8:14、口語訳)と。すでに指摘したように、この期間はとても長いものです。なぜなら、それはメディアとペルシアの帝国の時代に始まり、ギリシア帝国、異教ローマと教皇制ローマの時代を通過し、数千年にわたっているからです。歴史主義的解釈に従えば(第1課参照)、この預言の期間は「1日=1年の原則」に基づいて計算されるべきであり、それはつまり、「二千三百の夕と朝」が2300年に相当することを意味します。さもなければ、2300日は6年ちょっとにしかならず、幻の中のあらゆる出来事が起きるにはあまりにも短すぎます。それゆえ、「1日=1年の原則」が有効であるに違いありません。

ダニエル8章は、この期間の始め(言うまでもなく、それは終わりを確定するもの)を算出するための情報を提供していません。しかし次の9章は、重要な情報を提供しています(来週の研究を参照)。

                                           

8章も最初に動物が登場して、それぞれの時代を表します。バビロンは滅びる寸前だったので、次のメドペルシャから預言が始まります。日曜日の引用文に書かれていますが、8章は天の聖所が中心に書かれているので、羊や山羊で、聖所のいけにえとして用いられる動物が用いられています。その後の小さな角の解釈は月曜日の引用文をご覧ください。

もう一つのポイントは、火曜日の引用文にありますが、「日ごとの供え物を廃し、その聖所を倒した」とあります。この部分について、小さな角が強大だった時代には、地上に聖所はありませんでした。この聖所が倒されたとあるのは、地上で正常な礼拝行為が行われなくなることを預言しています。

今期の聖書研究ガイドの目次を見てください。各課の題が、預言が成就することによって、すばらしいものに変えられて行くことがわかります。天の聖所清められることについて、来週の9章の学びへ続いて行きます。