安息日学校部

20200106安河内アキラ解説

2020年第1期「ダニエル書」

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第6課 傲慢から破滅へ 2月8日

暗唱聖句   神は時を移し、季節を変え/王を退け、王を立て/知者に知恵を、識者に知識を与えられる。 ダニエル2:21

                                           

今週の聖句   ダニエル5章、黙示録17:4~6、詩編96:5、コロサイ1:15~17、

ローマ1:16~32、コヘレト8:11、黙示録14:8

                                           

今週の研究   聖書はダニエル5章において、人間の傲慢というものが衝撃的かつ劇的な形で終わる絶好の実例を示しています。しかしネブカドネツァルは、長い時間がかかったものの、少なくとも自らの教訓を学んだと言えるでしょう。彼の孫、ベルシャツァルは学びませんでした。

ダニエル5章で語られていることは、紀元前539年に、つまりバビロンがメディアとペルシア両軍の前に陥落した夜に起こりました。ここで、ダニエル2章で予告されていた金から銀への移行がなされたのです。神がこの世の出来事を支配しておられるということが、改めて明らかになりました。

                                           

火曜日:ここで私たちは、なぜベルシャツァルはダニエルを無視したのだろうかと、改めて疑問に思います。聖句は、この疑問に直接答えてはくれませんが、私たちはこう推測します。少なくともベルシャツァルの治世の第三年まで仕えたあと(ダニ8:1、27)、ダニエルはこの時点でもはや現役の働きをしていなかったのでしょう。一つの要因は、ダニエルの年齢です。彼はたぶん80歳ぐらいであり、王は年老いた指導者を若い世代と置き換えたかったのかもしれません。王はまた、ダニエルの神に献身したくなかったので、彼を無視することに決めたのかもしれません。しかし理由がどうであれ、ダニエルのような地位にあった人が、これほど早く忘れ去られてしまったというのは、やはり印象的です。

                                           

水曜日:状況的にやむを得ず、王はダニエルに相談しましたが、どうも不承不承のように見えます。このことは、ダニエルに対してよりも、ダニエルの神に対する王の態度を物語っています。

代わって、王の褒賞の申し入れに対するダニエルの返事は、彼の優先順位や品性について多くのことを物語っています。ダニエルはまた、不思議な言葉の意味を知り、その褒賞がいかに無価値であるかを自覚しているようです。次にダニエルは、三つの点に関して王に指摘します。

第一に、ベルシャツァルはネブカドネツァルの経験をまったく顧みませんでした。そうでなければ、彼は悔い改めて、謙遜になっていたことでしょう。

第二に、ベルシャツァルは神殿の器を用いて酒を飲み、偶像をたたえました。ダニエルはここで、先に記したとおりの順序で、偶像を作るために用いられている六つの種類の材料に言及しています。

第三に、王は、「あなた〔王〕の命と行動の一切を手中に握っておられる神」(ダニ5:23)に栄光を帰すことを怠りました。

王の失敗を指摘したあと、ダニエルは解釈に進みます。ここで私たちは、天の落書きがアラム語の三つの動詞から成っていることを知ります(最初の動詞は繰り返されています)。それらの基本的な意味は、王も知者たちもわかっていました。「メネ」は「数えられた」、「テケル」は「量を計られた」、「パルシン」は「分けられた」という意味です。

                                           

木曜日:「ベルシャツァルには神の御旨を知り、それを実行する多くの機会が与えられてきた。彼は、祖父ネブカドネツァルが人間社会から追放されたのを見ていた。高慢な王が誇りとした知性が、それをお与えになったお方によって取り去られたのを見た。そして、その王が自分の王国から追われ、野の獣を仲間としたのを目撃したのである。しかし、ベルシャツァルの享楽を愛する心と自己称揚は、彼が忘れてはいけない教訓を拭い去ってしまった。そして、前兆となる裁きをネブカドネツァルにもたらした罪と同様の罪を犯した。彼は、憐れみ深く与えられた機会を無駄にし、手の届くところにあったその機会を、真理を知るために用いなかったのである」(エレン・G・ホワイト『聖書は語る』1898年4月25日、英文)。

                                           

今週は、ダニエル書5章を学びます。先週の研究のタイトルが「高慢から謙遜へ」、そして今週は「傲慢から破滅へ」とのタイトルが一番心に響きました。神さまは高慢な人間に、いろいろな方法で語りかけられます。そして正しい道へ戻るように導かれます。大切なことは、その声に従うか否かです。これは本人が決めることです。神さまが導いても、それを無視し続けていた王の最後がダニエル書5章です。

ベルシャザル王は、メドペルシャに国が攻められている時に、大宴会を催していました。国の危機に宴会をしている王に対して、王妃は「宴会場に入ってきた」とあります。おそらく彼女は、このような王の姿勢に反して宴会に出席していなかったのかもしれません。またこのような事態になって、ダニエルの助けを受けることが最善なのは、火曜日の引用文の中にありますが、仮に王がダニエルのことを知らなかったとしても、側近の誰かは知っているはずです。それを王に言えなかったとしたら、王がダニエルや神さまのことを無視していたらからではないでしょうか。

今週の日曜日、北浦三育中学校の閉校式に参加しました。わたしは草創期の卒業生でしたが、当時の舟田校長は「世界で最も欠乏しているのは人類である。それは売買されない人、魂の奥底から真実で、正直な人。磁石の針が南北を指示して変わらないように、良心が義務に忠実な人、天が落ちかかろうと、正しいことに立つ人、そういう人である」(EGホワイト著、『教育』より)。この文章からいつも話されていました。聞かされていたわたしが50年を過ぎて、このような人物に少しでも近づいているだろうか、考えさせられました。

正しいことを知っていても、それに背を向け続けている、そのような歩みの最後は破滅しかないのです。