第2課 エルサレムからバビロンへ 1月11日
暗唱聖句 この四人の少年は、知識と才能を神から恵まれ、文書や知恵についてもすべて優れていて、特にダニエルはどのような幻も夢も解くことができた。
ダニエル1:17
今週の聖句 列王記下21:10~16、ダニエル1章、ガラテヤ2:19、20、
マタイ16:24~26、Ⅱコリント4:17、ヤコブ1:5
今週の研究 私たちがダニエル書を研究するとき、この書の真の英雄は神であられることを心に留めましょう。私たちはダニエルと彼の友人たちの忠実さを強調する物語に慣れているので、バビロン帝国の権力と魅惑に立ち向かった4人の青年を導き、支えてくださったお方の忠実さを称賛することを忘れる可能性があります。
月曜日:バビロンに到着するなり、この4人の青年は彼らの信仰と確信に対する極めて深刻な問題に直面しなければなりませんでした。彼らは王に仕えるための特別な訓練を受けるよう選ばれたのです。古代の王は、宮殿で仕えさせるために最高の捕虜の中の何人かをしばしば採用したものでした。そうすることで、彼らの忠誠心を、彼らを捕らえた帝国の王とその神々に切り替えさせたのです。実際に、そのすべての過程は、最終的に世界観を変えてしまう、ある種の改宗や洗脳をもたらすように意図されていました。その過程の一環として、ヘブライ人の捕虜たちは自分の名前を変えさせられました。新しい名前は、所有者の変更、運命の変化を示唆しています。
火曜日:ダニエルとバビロンの役人とのやり取りを調べるとき、いくつかの重要な点が目につきます。第一に、ダニエルは役人の難しい立場を理解していたようで、試験を提案しました。代わりの食事の有益性を示し、役人の恐れを取り除くには、10日間が必要と考えました。第二に、それほどの短期間で前向きな結果が出るであろうというダニエルの確信は、神への絶対的信頼から生じていました。第三に、菜食と水という選択は、神が天地創造の際に人間に与えられた食べ物を指し示していました(創1:29参照)。その事実が、たぶんダニエルの選択にも影響を及ぼしています。結局のところ、神が最初に人間に与えられた食べ物よりも良い食べ物が、ほかにあるでしょうか。
水曜日:神は4人のヘブライ人捕虜の忠誠心に報いられ、その結果、10日間の試験期間が終わったとき、彼らは宮廷の食卓から食べていたほかの学生たちよりも健康そうで、栄養状態も良いように見えました。そこで、神はこの4人の僕たちに、「知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵」(ダニ1:17、新改訳)を与えるとともに、ダニエルだけは、「すべての幻と夢とを解くことができ(る)」(新改訳)ようにしてくださったのです。この賜物は、ダニエルの預言者としての働きにおいて、重要な役割を果たすことになります。
神は、バビロンの宮廷の僕たちの信仰に報いられたように、私たちがこの世の問題に直面するとき、知恵を与えてくださいます。私たちはダニエルと彼の友人たちの体験から、現代社会の腐敗した要素に染まらずにいることは確かに可能であることを学べます。また、神にお仕えするために、社会やその文化的生活から隔離する必要はないということも学べます。ダニエルと彼の友人たちは、うそ、誤り、神話の上に築かれた文化の中で生活をしただけでなく、そのようなうそ、誤り、神話に基づいた教育を受けました。それにもかかわらず、彼らは忠実であり続けたのです。
木曜日:この章は、「ダニエルはキュロス王の元年まで仕えた」(ダニ1:21)という指摘で結ばれています。ここでキュロス王が言及されていることは重要です。その言及が、捕囚体験の中での希望を垣間見せているからです。キュロスは、神の民を解放し、彼らがエルサレムへ帰ることを許可するために、神から選ばれた人間でした。ダニエル1章は、敗北と捕囚という状況で始まっていますが、希望と帰郷を垣間見せることで終わっているのです。これが私たちの神です。私たちの人生の最も困難な時にも、神はいつも希望の窓を開き、私たちが苦しみのかなたにある栄光と喜びを見ることができるようにしてくださいます。
今週は、ダニエル書1章について学びます。この章は、ダニエルたち4名のユダヤの青年が、捕虜としてバビロンに連れて来られてから、バビロンの王に仕えるようになるまでの物語です。彼らは征服された民としてバビロンに連れて来られました。そして当時世界で最高の文明を持っている国にやってきて、最先端の学びをすることになったのです。
月曜日の学びに「ある種の改宗や洗脳をもたらすように意図されていました。」とありますが、彼らをバビロン人として育てようと王が考えました。けれども、彼らはそのすべてを拒んだわけでなく、食べ物については自分たちの希望を賢い方法で実現しましたが、それ以外については三年間の学びの間、バビロンの神を信じたわけではありませんが、優秀な成績で卒業をしたのでした。わたしたちも、この社会において生きる中において、信仰者として何を守って行くのか、知恵を働かせて行かねばなりません。何が良くて何がいけないと具体的に考えるのではなく、それぞれに立場で神さまに従いながら、この社会で生きるということを祈りながら選んで行かねばなりませんね。
今週の暗唱聖句で、「知識や才能を神から恵まれ」とあります。当然彼らは努力をしたことでしょう。そうしないと外国人として生き残ることはできなかったからです。けれどもその彼らを神さまが恵んでくださったことも忘れてはなりません。その後も、神さまは彼らを用いて行かれました。
最後に、ダニエル書をわたしたちは何回も読んでいることと思います。ぜひ他の翻訳でも読んでみてください。よく読んでいるからこそ、訳のちがいから光があなたに届くでしょう。