安息日学校部

20190401安河内アキラ解説

2019年第4期「エズラ記とネヘミヤ記」

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第1課 歴史を理解する―ゼルバベルとエズラ 10月5日

暗唱聖句   「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。」  エズラ1:2

 

                                           

今週の聖句    エレミヤ25:11、12、ダニエル9:1、2、エズラ記4:1~7、

イザヤ55:8、9、エズラ記7:1~ 28

                                           

今週の研究

私たちはここに、神の力強く恵み深い行動に前向きな応答をした民の実例を見ます。私たちの最善の行動は、神がどのようなお方であり、何を成し遂げてくださったのかを自覚することと、神が御自分の民のためにいかに愛情をもって介入してくださるのかを知ることによってもたらされるのです。

                                           

序 言:今期の研究は、人生が複雑であることを具体的な例で説明しています。私たちが良いことをしようとすると、途端に邪魔が入り、反対が起こります。友人たちでさえ、公然と、あるいはひそかに反対し、もしかすると私たちの敵になるかもしれません。善に対する障害や抵抗は、サタンが生きていること、そして罪が現実のものであることをはっきり示しています。サタンと戦うことは人間の能力を超えています。なぜなら、悪は私たちよりも強いからです。神によってのみ、私たちは勝利を確実なものとし、考え方を根本的に変え、バランスの取れた生活を送る力を得ることができます。人生における落胆は、変わるための好機です。神の力添えによって、私たちが危機のたびに勝利を得るとき、失望は私たちの目を最も重要なものに向けさせ、私たちの霊的成長を促うながす助けとなるかもしれません。

エズラ記もネヘミヤ記も、楽観論では締めくくられていません。罪は深刻な問題であり、たやすく急速に広がります。最大の困難は外からもたらされるのではなく、神の民が啓示された御旨に従わないことによる背信をとおしてもたらされます。主に忠実であり、主の命令に粘り強く従い続けることは、神の教会にとって最も難しい試験です。エズラが正しく理解していたように、変わる力は、熱心に聖書を調べ、それを理解し、自分のものにすることによってのみもたらされます。

                                           

月曜日:ペルシア王が以下に年代順で列挙されており、彼らはエズラ記とネヘミヤ記に関係しています。このリストは、ペルシア帝国を興し、紀元前539 年にバビロンを征服したキュロスから始まります。キュロスⅡ世「大王」(紀元前559 ~ 530 年)、カンビュセスⅡ世(紀元前530~522年)、ダレイオスⅠ世(紀元前522~486年)、クセルクセスⅠ世〈エステル記において、アハシュエロスの別名でも知られている〉(紀元前486~465年)、アルタクセルクセスⅠ世(紀元前465~424年)。私たちがエズラ記とネヘミヤ記を研究するとき、これらの王がエズラ記において年代順に登場していないことを知っておくことはとても重要です。例えば、エズラ4:6~24は5章の前に挿入されていますが、5章は神殿建設への反対の物語の続きです。結果として、エズラ4章に記されているクセルクセスⅠ世(アハシュエロス)とアルタクセルクセスⅠ世に関する手紙は、5章と6章に記録されている(ダレイオスⅠ世を扱った)出来事のあとに起きました。この配列は、読者にとってややこしく思えるかもしれませんし、長年にわたって人々がこの書に対して抱いてきた困惑の原因なのかもしれません。今期の研究を重ねるにつれ、出来事の順序を知ることが、エズラ記とネヘミヤ記のメッセージを理解するうえで私たちの助けとなるでしょう。

                                           

水曜日:王の命令の言葉のほとんどは、ユーフラテス西方の財務官たちに向けられています。財務官たちは、エズラが町の修復と「神殿を栄えあるものとする」(エズ7:27)ために必要とするものは何でも提供しなければなりませんでした。結局のところ、王は司法上の制度を設けることによって、神の律法だけでなく、国法をも適正に順守させる権限をエズラに与えたのです。このような命令が生み出す秩序や組織は、どのような社会にとっても重要な側面です。さらに王は、エズラやイスラエルの人々が祖国を回復しやすいようにしました。

                                           

木曜日:注目していただきたいのは、エズラが異教の方法をいろいろ知っていたにもかかわらず、それらは正しくない、と考えた点です。それゆえ、彼は真理の資料から真理を知ろうとしました。その資料が神の言葉であり、「主の律法」だったのです。彼は世俗の大学で学んだ多くのことを捨て去らねばなりませんでした。なぜなら間違いなく、そこで教えられたことの多くは誤りだったからです。結局のところ、「魔術士や占星術士……たちの書物」は、どれほど彼の役に立ったのでしょうか。

                                           

今期はエズラ記とネヘミヤ記について学びます。この二つの書簡は、同時期にエルサレムの再興を目指した指導者の物語です。わたしはこの物語はとても好きで何回も読んでいますが、ほとんどお読みになったことが無い方もたくさんいらっしゃるのではないかと思います。

今期の学びの、はじめにと月曜日にも書かれていますが、この二つの書簡の内容は必ずしも出来事の順序通りには書かれていないようです。これはわたしも初めて知りました。おそらくそこには意図があり、そしてそれは今期の学びの中ではっきりとされて行くことでしょう。

序言にも書かれていますが、神さまがゆるされた働きを始めても様々な妨害があります。それに対して、この事業を完遂するために二人はまったく別の方法を取ります。それぞれの立場において行うことができる最善を尽くしています。この部分も注目して今期の学びをしてみてください。