第13課 僕の共同体 9月28日
暗唱聖句 「約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。互いに愛と善行に励むように心がけ……ましょう」ヘブライ10:23
今週の聖句 Ⅱコリント2:14 ~ 16、出エジプト記32:1~ 14、Ⅰペトロ2:12、
フィリピ2:15、エフェソ2:19、ヘブライ10:23 ~ 25
今週の研究
私たちが教会として集まるときに、教会そのものを継続させることに気を取られて、教会が存在する理由を忘れてしまうことです。教会が存在するのは、神がそれを置かれた世界のために奉仕することです。教会組織として、私たちは至る所に存在する苦しみや悪を無視してはなりません。もしキリストがそれを無視なさらなかったのであれば、私たちもそうしてはなりません。私たちは福音を説くようにという命令に忠実でなければなりませんが、その宣教には、虐げられた人、飢えた人、裸の人、無力な人たちを助ける働きも伴うのです。
日曜日:これらの象徴はいずれも、(神に受け入れていただく手段としてではなく、キリストの犠牲を通して神によってすでに受け入れられた民として、)それぞれに関連した働き(作用)を持っています。この民は、傷つき、死にかけている世界の中で神の使者になることで神の愛と恵みに応答したのです。
しかし私たちは、彼らをもっと深いレベルで考えることもできます。なぜなら、神の愛と恵みは、神の国そのものだからです。私たちがそのように行動し、愛と恵みを他者に反映するなら、私たちは今でも永遠の国を実演し、それに参加しているのです。
火曜日:すでに触れたように、王国のこれら二つの行動(正義と伝道)は、イエスの働きにおいてだけでなく、彼が弟子たちに与えられた最初の命令においても密接に絡み合っています―「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタ10:7、8)。要するに、メッセージを人々に届ける最善の方法は、人々の必要を満たすことなのです。
木曜日:正しいことをしようとするとき、結果は重要ですが―結果は人とその人生に関係しています―、私たちは時として、その結果がどうであれ、神を信頼しなければなりません。時として、貧困を和らげ、弱い人たちを守り、虐げられた人を解放し、黙っている人の口添えをするために働いても、ほとんど進展が見られないでしょう。しかし私たちには、はるかに大きな目的、必ず勝利する目的のために働いているという希望があります―「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう」(ガラ6:9、10、さらにヘブ13:16も参照)。
それゆえ私たちは、互いに励まし(文字どおりの意味は、勇気を吹き込み)合いなさい、と命じられているのです。忠実に生きることは、喜ばしくもあり、難しくもあります。私たちの正義の神と私たちの正義の共同体は、私たちの最大の支えであり、また私たちが人々を招き入れるものなのです。
今期は、助けを必要としている人たちへの奉仕について学びました。イエスさまは「全世界へ福音を宣教するように」と命じられたが、また「失われたものを救うために来た」とも教えられています。助けを必要な人を助けることと、宣教することは神さまの働きの両輪です。火曜日の引用文の最後に「メッセージを人々に届ける最善の方法は、人々の必要を満たすことなのです。」とありますが、奉仕の働きは宣教の道備えをする働きと言ってよいのかもしれません。
今週の暗唱聖句にもありますが、わたしたちの将来の希望について、聖書の中でしっかり書かれていますが、必ずその後に聖書は今できることを教えています。それは暗唱聖句の最後に書かれていますが、互いに愛と善行を励むことなのです。マタイ7:7の「求めよ、そうすれば与えられる」から始まる教えがあります。イエスさまはわたしたちが求める時に道を開くと希望の約束をされています。その結びは黄金律なのです。またヤコブ4:13からの「一年間滞在をしてもうけようとする人への、あなたがたは霧のような存在だ」と教えて、そのまとめはなすべき善を知りながら行わなければ罪と教えています。未来についての教えの最後には、わたしたちが今できる善を行うように教えられています。今できる愛の業、この積み重ねが再臨への道なのです