第12課 彼らはあなたの家で何を見ましたか 6月22日
暗唱聖句
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」 Ⅰペトロ2:9
今週の聖句 イザヤ38章、39章、Ⅰコリント7:12~15、Ⅰペトロ3:1、2、
ヘブライ6:12、13:7、Ⅲヨハネ11、イザヤ58:6、7、10〜12
今週の研究
人々はあなたの家で何を見ましたか。天使たちは何を見ましたか。私たちの住まいには、どんな精神が充満していますか。祈りの「香り」がしますか。親切、寛容、愛があるでしょうか。それとも、緊張、怒り、憤慨、敵意、仲違いがあるでしょうか。そこを訪れた人は、イエスがこの家におられると思いながら立ち去るでしょうか。
これらは、私たちが生み出した家庭に関して、私たち全員が自問すべき重要な問いです。私たちは今週、現代の家庭が避けがたく直面する緊張や争いにもかかわらず、すばらしい家庭生活を生み出すのに役立ついくつかの重要な事柄について考えます。
日曜日:クリスチャン家庭への訪問は、すべて、人々がキリストの弟子たちに会う機会です。霊的な事柄について会話ができる訪問者たちは、わずかしかいません。クリスチャンは、良い知らせを伝える機会にふさわしく、かつ繊細な方法を見いださなければなりません。
クリスチャンは、自分の物質的繁栄や業績を神からの祝福と認めても構いませんが、それらを見せびらかすために召されているのではありません。彼らが召されているのは、「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるため」(Ⅰペト2:9)です。つまり、ヒゼキヤの経験を象徴として用いるためであり、自分は死につつあったけれどもイエスによっていやされたことを伝えるために召されているのです。クリスチャンは罪に死んでいましたが、キリストが彼らを復活させ、天の王座に着かせてくださったのです(エフェ2:4~6)。
火曜日:クリスチャンの伴侶であることの祝福 パウロはコリントの信徒への手紙一の中で、信仰を持たない伴侶と結婚し続けることが神を不快にさせたり、わが身や子どもたちに汚れをもたらしたりするのではないか、という改宗者の懸念に対応しています。パウロは、そんなことはない、と言います。結婚生活の聖なる状態と親密な関係とは、改宗したあとも継続すべきです。1人のクリスチャン・パートナーの存在は、相手のパートナーや子どもたちを「聖なる者とする」からです。「聖なる者とする」という言葉は、クリスチャンであるパートナーと一緒に生活することで、信仰を持たない伴侶も恵みの祝福にあずかることができるようになるという意味で理解することができます。
木曜日:もてなしは、休息、食べ物、交わりといったものへの他者の基本的欲求を満たします。それは自己犠牲的な愛の具体的なあらわれです。飢えている人に食べさせ、のどが渇いている人に飲ませることは、イエスに対してなされた奉仕の行為である(マタ25:34~40)、とイエスがおっしゃったとき、もてなしに神学的な意味を持たせました。伝道の働きのために自宅を用いることは、単に隣人を食事に招くことから、虐待の被害者に部屋を貸すという徹底的なもてなしまで、多岐にわたります。それには、さりげない友情、だれかと祈りをささげる機会、聖書研究を授けることも含まれるかもしれません。真のもてなしは、神の愛に触れ、自分の言動で愛をあらわしたいと願う者たちの心から生じるものです。
今週の学びをしながら、昨年の秋に、長年シャロームでボランティアをされている90歳くらいのご夫妻のお宅を訪問したことを思い出しました。それは予約をしたのではない突然の訪問でしたが、ご夫妻で玄関に出てきてくださり、しばらくお話をしました。帰り道、同行した施設の職員が「90歳になってもしっかりと暮らしているのが玄関を見ただけでわかりました」と話していました。きちんと整理整頓がなされているのがわかりました。それに比べて、わたしの家は、このまま行ったらごみ屋敷が必至です。玄関を見ただけで、その方の暮らしぶりがわかります。それは長年積み上げたものなのかもしれませんね。
今期の学びは、生き方そのものを問うています。もし今、イエスさまがわたしの家の戸を叩いて「入れてください」と言われたら、ザアカイのようにどうぞとすぐにお招きできるでしょうか?
もう一つ、日曜日の学びでヒゼキヤ王のことを学びます。彼はバビロンからの使者に、神さまがなさってくださったすばらしい賜物について話すべきでしたが、自らの功績や国の栄光を見せてしまいました。人間はこのように自らをよく見せたい誘惑に負けてしまいます。聖書は繰り返し「謙虚であれ」と教えています。そうすれば多くの失敗から自らを守ることができます。生かされて、そして活かされていることを忘れずに歩みたいものですね。