安息日学校部

20190211安河内アキラ解説

2019年第2期「家族の四季ー神の約束という光の中で生きる」

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第11課 信仰の家族 6月15日

暗唱聖句

「こういうわけで、……自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」 ヘブライ 12:1、2

                                           

今週の聖句   使徒言行録10:1~28、34、35、Ⅰコリント2:2、Ⅰテサロニケ5:21、22、

ヨハネ1:12、13、3:7、Ⅰヨハネ5:1

                                           

今週の研究

クリスチャンの家庭は、四六時中、文化的な問題に直面します。時として、文化的影響は良いものになりえますが、たいていの場合、その影響は否定的です。
すばらしいことに、福音の力は、文化がもたらす難題に対処する光、慰め、力を私たちに与えてくれます。私たちは今週、「とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝」(フィリ2:15)こうとするときに、いかに私たちが「信仰の家族」になりえるか、ということについて考えます。

                                           

日曜日:あらゆる文化は、人々の堕落した状態を反映していますが、文化には、聖書と一致する考え、福音の働きに役立つ考えもあります。世界の多くの場所で、家族や共同体における親密な関係を重視していることは、その一例です。クリスチャンは、良いこと、聖書の原則に沿っていることを支持し、強めることができます。
その一方で、神の真理を妥協させてはなりません。残念なことに教会史は、文化に対する妥協や順応が真のキリスト教を装った偽キリスト教信仰の寄せ集めを生み出してきたことを示しています。サタンはこの世の神であると主張し、喜んで混乱をまき散らしますが、イエスはこの世を贖われ、彼の“霊”は彼に従う者たちを導いて真理をことごとく悟らせてくださるのです(ヨハ16:13)。

                                           

月曜日:世間から隔絶して生きている人はいません。私たちも、私たちの家族もみな、文化の影響を受けています。クリスチャンとしての私たちの責任は、その文化の中で、私たちの信仰と調和するものを守る一方、信仰とは相容れないものを可能な限り避けつつ、最善を尽くして生きることです。

                                           

水曜日:教会のような組織の価値観や信仰内容がいかに次世代に伝わるかということに関する諸研究は、創設者たちが非常に高いレベルでその信仰に献身していたことを明らかにしています。彼らは、それを最初に支持した人たちでした。しかし、一世代ないし二世代の間に、多くの人がその価値観の背後にある原則を見失ってしまいます。彼らはその組織に従っているかもしれませんが、それはしばしば習慣からなのです。次々に続く世代において、慣習は伝統へと固まる傾向があります。創設者たちの情熱は、もはや存在しません。

                                           

水曜日2:キリスト教の長い時代を通じて、昔の人たちが価値観を伝える一般的な方法は、自分が信じていることを単純に若者に語ることでした。しかし、自分の親が信じることや、教会が信じることを学ぶというのは、個人的な信仰ではありません。クリスチャンであるというのは、歴史や教義を持つ組織に属すること以上のことです。真の信仰は、遺伝的なものでもなければ、世代から世代へと生まれつき受け継がれるものでもありません。1人ひとりが、自らキリストを知る必要があります。親のできることは限られています。教会全体と、とりわけ親たちは、若者が正しい選択をしたいと望むような環境を生み出すために、できる限りのことをする必要があります。しかし結局のところ、ある世代が福音のために救われるか失われるかは、1人ずつなのです。

                                           

今週は、信仰の家族について学びます。前半は文化といかに適応して行くか、後半は信仰の継承について学びます。

キリスト教が全世界へ広がるにつれて、大きな問題はその地域の文化にいかに適応して行くか、言い換えればいかに土着化をしていくかでした。この問題は、現在でも続いています。適応なのか妥協、堕落なのかは簡単に答えが出せない場合があります。またその時には結果が出なくても、長い時を経て、それが大きな差を開いていくこともあります。けれども地域の中に溶け込んで行かねば福音は伝わって行きません。

そのような意味でも、聖書は根幹となることは教えていますが、具体的なことについてはその時々、場所で判断をして行くように求めています。このための原則がはっきりと書かれてはいません。そこでわたしは、聖書の原則に則ったうえで、まわりの幸せになることはできるだけするように心がけています。そしてもう一つ、だれかが下した判断を軽々に批判しないことです。きっとそこに何か事情があるはずですし、もしその判断がまちがっていたらきっと神さまはその方に、なんらかの方法で語りかけてくださることでしょう。

信仰の継承、これもほんとうに難しい問題です。大切なことは、あなたが心から神さまに信頼して、そして神さまとの交わりを喜んでいることではないでしょうか。それが一番そばにいる家族に伝わる時に、受け継がれて行くのです。