第4課 独りのとき 4月27日
暗唱聖句
「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう』」
創世記2:18
今週の聖句 コヘレト4:9~12、フィリピ4:11~13、Ⅰコリント7:25~34、 創世記37:34、イザヤ54:5
今週の研究
私たち人間は、最初から、独りでいるように意図されていたのではありません。エデンからずっと、私たちは程度の差こそあれ、ほかの人間との交わりの中で生きることになっていました。言うまでもなく、罪が入り込んで以来、何物も正しい状態にありません。今週、私たちは、人生のさまざまな時期における交わりと孤独の問題、たぶん私たちのだれもが人生のある時点で直面した問題について考えます。もしあなたにそのような体験がなければ、「自分は幸運だ」と思ってください。
月曜日: 結婚することは神の御旨であると、たいていの人は考えます。「人が独りでいるのは良くない」と、神は言われなかったでしょうか。それにもかかわらず、聖書の中には、イエス・キリストを含め、結婚しなかった人の多くの実例があります。
これらの実例において、結婚しているかいないかは問題ではありません。神が関心を寄せておられたのは、その人の誠実さ、従順さ、神が語ってほしいと望まれることを語る能力でした。私たちの人生の意義は、結婚しているかいないかによって規定されないということを、私たちは確認する必要があります。今日、多くの声が、結婚しなければ私たちは不完全なのだ、と言うでしょう。しかしパウロなら、「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」(ロマ12:2)、むしろ「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(同12:1)と答えるでしょう。
水曜日:問題は、私たちがあまりにも死に慣れていて、それを当然とみなしていることです。しかし死は、私たち人間が経験するはずのものでは決してありませんでした。それゆえ今日に至るまで、私たちは死の意味を理解しようともがいていますが、どうしても理解できないのです。
次の聖句は、いかに人々が死と格闘しているかについて教えています。イザ57:1、黙21:4、Ⅰテサ4:17、18、マタ5:4、サム下19:11(口語訳18:33)、創37:34
間違いなく、私たちはみな、自分の死という現実に直面するだけでなく、他者の死、愛する者たちの死、最も近しい仲間の死という現実にも直面します。それゆえ、遅かれ早かれ、私たちの多くは、だれかの死によってもたらされる孤独の時、孤独の季節を迎えるでしょう。それはつらく、痛ましいので、私たちはそのような時に、神の約束を自分のものとして訴えることができますし、しばしば訴えなければなりません。結局のところ、罪のこの世には、苦しみや死のほかに、何があるというのでしょうか。
金曜日:大多数の人は求めていない孤独に直面するものです。彼らは独りになりたいと思っていません。改めて言いますが、確かに私たちは、絶えず存在される主と楽しい交わりをいつでも持つことができます。しかし時として、人間との交わりを切望するのです。毎週安息日に、私たちの隣に座っていながら、孤独な厳しい季節を過ごしている人たちに、私たちが教会として手を差し伸べられるように備えておくことは、なんと重要でしょう。その一方で、もしあなたがそのような時を過ごしているなら、教会(やほかの場所)であなたが信頼できると感じるだれかを探し、その人に伝えてください。多くの場合、私たちはだれかを見るだけで、その人が経験していることをすぐには理解できません。少なくともある人たちにとって、仮面の裏に隠れることはたやすいからです。
すべての人間は、心をゆるすことができる「親密圏」を持っています。もちろんその中には、なかなかつきあいたくないと思いつつも、かかわっている方もいるかもしれません。それらを含めて、あなたのまわりには、あなたのことを理解して愛してくださる方々がいるはずです。それを親密圏と呼びます。たとえば転勤などをした場合には、職場やご近所の方々と、この関係を再構築しなければなりません。
けれども年齢を重ねるごとに、徐々に親密圏が狭まって行きます。その原因は、友人や仲間の死もあるでしょう。そして自分の行動範囲が狭くなってくること大きな要因です。
高齢者の独居が増えてきています。全世帯の三分の一がこのような状況になっています。それでも問題が起きた時に、自分で解決ができるうちは、独りで気楽に暮らして行けますが、それができなくなった時に、ごみ屋敷や孤独死などの問題が生じて行きます。都会では孤独な高齢者が孤立しているからです。
今日、独り暮らしの高齢者をささえるために様々な手段があります。そのささえるためのネットは、幾重にもかかっている方が緊急時に助けを迅速に行うことができます。わたしたちは教会に集う高齢者が孤立していないか気を配る必要がありますが、それだけでなく自分が住んでいる地域の方々で、孤立しかかっている方の友となるように求められています。そのような方は社会から失われて方なのです。「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。 (ルカ19章10節) もしあなたのご近所の高齢者の異変に気づいたら、すぐに地域にある地域包括支援センターへ通報してください。匿名で結構です。それによって助けられるいのちがあります。