第2課 燭台の間を 1月12日
暗唱聖句
「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう」 黙示録2:7
今週の聖句 黙示録1:9~18、使徒言行録7:54~60、マタイ12:8、出エジプト記20:11、ダニエル10:5、6、黙示録1:20、2:1~7
今週の研究
天の聖所におけるキリストの働きを紹介することに加えて、私たちは今週、キリストの教会に対する七つの特別なメッセージの第一番目に目を向けます。そのメッセージは、アジアの七つの教会に宛てられたものですが、今日の私たちにとっても意味があります。来週は、ほかの六つの教会へのメッセージについて考えます。
日曜日:黙示録1:9 を読んでください。パトモスは、エーゲ海の中の不毛で岩だらけの島でした。長さは16キロメートル、(最も広い部分で)幅は10キロメートルほど。ローマ人は、周辺のほかの島々とともに、それを追放された政治犯の流刑地として用いていました。黙示録の執筆時点と比較的近い時代に生きていた初期のクリスチャン著作家たちは、みな一致して、ローマの当局が、福音に忠実であったがゆえにヨハネをパトモスへ流刑にした、と述べています。年老いた使徒は、ローマによる監禁がもたらしたあらゆる苦難をパトモスで確かに耐えたのです。たぶん彼は犯罪者として扱われ、足かせに縛られ、十分な食事を与えられず、情け容赦のないローマの衛兵のむち打ちのもとで強制労働をさせられたことでしょう。
キリストに従う者たちは、ヨハネと同じような状況に自分が置かれるときにも、独りきりでないことを決して忘れるべきではありません。パトモスでの苦難のただ中で、希望と励ましの言葉を持ってヨハネのもとへ来てくださった同じイエスが、今もなお御自分の民とともにいて、困難な状況にある彼らを支え、支援しておられます。
水曜日:七つの教会に送るようにとイエスがヨハネに命じられたメッセージは、黙示録2章と3章に記録されています。そのメッセージの意味は、三つに適用されます。
歴史的適用―これらのメッセージは、もともと西暦1世紀の繁栄した都市にあった七つの教会へ送られました。そこにいたクリスチャンたちは、深刻な問題に直面していました。七つの都市は、ローマへの忠誠のしるしとして、神殿で皇帝礼拝を始めたのです。皇帝礼拝は強制的なものになり、市民も、公的な行事や異教の宗教儀式に参加することを要求されました。多くのクリスチャンがこういった活動への参加を拒んだため、彼らは試練に、時には迫害にさえ遭いました。キリストに命じられて、ヨハネはこのような試練を受けている彼らを助けるために七つのメッセージを書いたのでした。
預言的適用―黙示録が預言の書であり、七つの教会だけがこれらのメッセージを受けるために選ばれたのではなかったという事実は、そのメッセージの預言的性格をも指し示しています。七つの教会の霊的状態は、さまざまな歴史上の時代における神の教会の霊的状態と一致します。七つのメッセージは、西暦1世紀からこの世の終わりまでのキリスト教の霊的状態を、天の視点から概観できるように意図されているのです。
普遍的適用―黙示録という書巻全体が、すべての教会で読まれる一つの手紙として送られたように(黙1:11、22:16)、七つのメッセージには、あらゆる時代のクリスチャンに適用できる教訓が含まれています。そして、七つのメッセージは、さまざまな時代と場所のさまざまなクリスチャンを代表しているのです。例えば、今日のキリスト教の一般的な特徴はラオディキアですが、あるクリスチャンたちは、ほかのいくつかの教会の特徴を自分たちに重ね合わせるかもしれません。ありがたいことに、私たちの霊的状態がどうであれ、神は、「堕落した人間がいる所で、会ってくださるのです」(『セレクテッド・メッセージⅠ』13 ページ)。
金曜日:ヨハネへのキリストの顕現は、信じる人であれ、信じない人であれ、すべての人にとって、私たちには復活されたキリストがおられるということの証拠となるべきである。教会は、その顕現によって生きる力を得るべきである。時として、暗雲が神の民を包む。あたかも、弾圧と迫害が彼らを消し去るかのように思える。しかし、そのような時に、最も有益な教訓が与えられる。キリストはしばしば牢獄に入り、御自分がお選びになった者たちに御自身をあらわされる。危機に瀕して、キリストは彼らとともに火の中におられる。真っ暗な夜にこそ星が最も輝くように、神の栄光の最も輝かしい光は、最も深い闇の中にあらわれる。空が暗ければ暗いほど、義の太陽、復活 された救い主の光は、一層鮮やかで印象的なのである」(『ユース・インストラクター』1900 年4月5日号)。
今週は、パトモス島でのヨハネと、七つの教会への特別なメッセージの一番目の教会について学びます。二番目以降は来週になります。
日曜日の引用文を読んでいいただきたいのですが、わたしはパトモスでのヨハネについて、あまり考えたことがありませんでした。彼が岩の上に座って預言をまとめている絵を見たことがありますが、そのようなことくらいにしか思っていませんでしたが、考えてみれば流刑であり強制労働などをさせられていたという中で、晩年のヨハネが預言を与えられたとしたら、それがどれだけ励ましになったのでしょうか。
水曜日の引用文は、預言の解釈について基本的なことが書かれています。預言は正しく読むことができないと、神さまのみこころを知ることができません。この学びは、今期の学びにおいて大切な原則です。
キリストの弟子として歩んだ人生の晩年に、流刑の地にあってキリストが彼に語りかけてくださっている、このことは人生の苦しみと日々戦っているわたしたちにとって同じように希望ではないでしょうか。黙示録は、神さまのご計画をわたしたちに伝えるだけでなく、今を生きるわたしたちへの神さまの言葉なのです。