安息日学校部

201901013安河内アキラ解説

2019年第1期「ヨハネによる福音書ーイエス・キリストの働きを知る」

PDFダウンロード

第13課 すべてを新しくする 3月30日

暗唱聖句

「新しくする』と言い、また、『書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である』と言われた」   黙示録21:5

                                           

今週の聖句   黙示録19:6 ~ 9、ヨハネ14:1~ 3、黙示録19:11~ 16、黙示録20:1~ 3、エレミヤ4:23 ~ 26、黙示録20:4 ~ 6、21:2 ~ 8

                                           

今週の研究

今や、キリストが御自分の永遠の王国の到来をお告げになる時です。黙示録の残りの章は、終末時代のバビロンの滅亡だけでなく、サタンとすべての悪の滅亡も描いています。私たちはまた、神の永遠の王国の設立も垣間見ます。

                                           

日曜日:カルバリーにおいて、キリストは御自分の命で持参金を支払ったあと、御自分の民、つまり婚宴に招かれている者たちのために「場所を用意」(ヨハ14:1 ~ 3参照)するため、父なる神の家に帰られました。彼らは、キリストが戻られるのを待ちつつ地上に残ります。この世の終わりに、キリストは戻って来て、彼らを御自分の父の家に連れて行ってくださいます。

黙示録3:18 は、終わりの時代に生きる神の民にとって、キリストの義の衣、信仰、聖霊の目薬が最も必要なものであることを示しています。イエスはラオディキアの人たちに、私からこれらの賜物を「買う」がよい、と申し出ておられますが、それは、彼が提供するものと引き換えに何かを求めているということです。私たちは、キリストに忠実に従って生き、唯一の救いの希望として彼に信頼することと引き換えに、自己充足や自己信頼を放棄するのです。

                                           

火曜日:黙示録の示すところによれば、神の民は千年期を、キリストによって用意された天の場所で過ごします(ヨハ14:1 ~3 参照)。ヨハネは、彼らが王や祭司として玉座に座り、この世を裁いている様子を見ます。イエスは弟子たちに、「十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる」(マタ19:28)と約束されました。パウロも、聖なる者たちが世を裁くだろう、と言いました(Ⅰコリ6:2、3)。
この裁きは、神の行動の公平さに関係しています。歴史を通じて、サタンは神の御品性と被造物に対する神の扱いに関して疑問を投げかけてきました。神は千年期の間、失われた者たちに対する神の決定の公平さと、彼らの人生における神の導きについて、あらゆる疑問が解消されるよう、贖われた者たちが歴史の記録を見ることができるようにされます。千年期の最後には、神の正義に関する疑問がすべて永遠に解消されます。神の民は、サタンの非難が根拠のないものであったことを疑いの余地なく理解できます。彼らは今や、失われた者たちへの最後の裁きにおいて、神の正義の行使を目撃する用意ができています。

                                           

水曜日:黙示録21:2 ~ 8と7:15 ~ 17 を読んでください。新しい地と創世記2章のエデンの園との間には、類似点があります。回復された地における苦しみも死もない人生は、神が御自分の民の中に御臨在されることによって保証されます。この御臨在は、新エルサレムと「神の幕屋」(黙21:3)で明らかにされます。その場所で、神が御自分の民の中に住まわれるのです。神の御臨在は、回復された地での人生を真の楽園にします。
神の御臨在は、苦しみからの解放を保証します。罪の結果である涙も、死も、悲しみも、嘆きも、労苦もすべてありません。罪が根絶されたことで、「最初のものは過ぎ去った」(黙21:4)からです。

                                           

金曜日:イエスが間もなく来られることは、第一の現実であり、第二の現実は、私たちがイエスの帰還をいまだにここで待っていることです。待っている間に、私たちは黙示録のメッセージをはっきり理解する必要がありますが、それは、万物の終わりが来るまで、何度も何度もこの書巻を読むことによって可能になります。黙示録のメッセージは、私たちが待っている間、この世の物事に目を向けるのではなく、私たちの唯一の希望であるお方と天国を見つめるように、絶えず思い出させます。黙示録のキリストは、人生の謎と不確かさの中にあるすべての人の希望と願いに対する答えなのです。この世の未来と私たちの未来を、その手の中に握っておられます。
この書巻はまた、終わりが来る前に、キリストの速やかな帰還というメッセージを世界中に宣布する務めが私たちに託されていることも思い起こさせます。私たちはキリストの帰還を消極的に待つのではなく、積極的に待つのです。“霊”と花嫁とは、「来てください」(黙22:17)と叫びます。私たちはその声に加わる必要があります。それは良い知らせであるがゆえに、この世の人々に宣べ伝えられなければならないのです。

                                           

黙示録の学びも最終週となりました。物語の最後はハッピーエンドで終わりたいものです。そしてその期間が長いことを願います。今週学ぶ黙示録19~22章は再臨から、最後の裁きが行われて天国までのハッピーエンドなのです。そしてその後のことは永遠に神さまと死も悲しみも痛み、争いの無い天国での暮らしが始まるのです。

今週の学びから、二つのことを考えます。まずは火曜日の学びです。それは千年期についてです。なぜこのような時が必要なのでしょうか。わたしたちは天国に喜びのうちに迎えていただきます。そこには全世界からたくさんの人たちが集まっていることでしょう。その中には銃を向けあった相手や、殺しあった相手がいるかもしれません。また愛する人が不在かもしれないのです。神さまがなぜ天国への道を開いたり閉ざしたのか、それをわたしたちが理解して受け入れるために、このような時が必要なのです。最後のさばきが行われる前に、天にいるすべての者が、神さまがなさることが正しいと納得するための時なのです。この時間にも神さまの愛があふれていますね。

そして今期の学びの最初から言っていましたが、黙示録では終わりの時代にわたしたちがやらなければならないことを教えています。それは日曜日の学びの後半と金曜日の学びの後半に書かれています。わたしたちが終わりの時を探すのではなく、神さまがわたしに与えてくださるものを信じて受けること、そして永遠の福音を伝えることです。そのためにわたしたちの教会は立てられたのです。